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【新規IP開発】出版社のマンガ・ウェブトゥーン参入の背景

集英社が持つ巨大IP(イメージ)

「最近、あの文芸誌の出版社がウェブトゥーンを始めたらしい」 「ビジネス書の会社が、マンガレーベルを立ち上げたって?」

ここ数年、出版業界で静かに、しかし確実に進行している大きな潮流があります。それは、これまで書籍や雑誌を主戦場としてきた中堅出版社たちが、続々とマンガ事業およびIP(Intellectual Property:知的財産)開発へと本格的に舵を切り始めている動きです。

集英社、講談社、小学館といったマンガの巨大な版元だけでなく、文藝春秋、新潮社、ダイヤモンド社、SBクリエイティブ、マイナビ出版といった、それぞれの分野で確固たる地位を築いてきた出版社たちが、なぜ今、こぞってこの領域に注力し始めたのでしょうか?

本記事では、この「中堅出版社のマンガ・IP開発ラッシュ」の背景にある構造的な要因、具体的な企業の動き、そして彼らが直面するであろう「現実」を、公開されているデータや報道されている事例を基に解説します。これは単なる多角化という側面だけでなく、「生き残りを賭けた挑戦」という側面も色濃く含んでいると考えられます。

1. 待ったなし! 構造不況にあえぐ出版界の現状

まず理解すべきは、出版業界全体が置かれている厳しい現状です。公益社団法人 全国出版協会・出版科学研究所のデータを見ると、その深刻さがうかがえます。

  • 紙媒体市場の長期縮小: 日本の出版市場(紙+電子)は、2023年で1兆6304億円(前年比2.1%減)と報告されており、電子出版が伸びているものの全体では微減傾向にあります。特に紙媒体の落ち込みは顕著で、同年の書籍は6443億円(同6.0%減)、雑誌は4663億円(同7.0%減)と、両市場とも前年から減少しています。紙媒体の市場規模はピーク時(1996年の約2兆6564億円)と比較すると、大幅に縮小している状況です。
  • 雑誌の落ち込み: 特に雑誌市場の縮小は著しく、20年前(2004年)の市場規模と比較しても大幅な減少となっています。これは広告収入の減少も影響しており、雑誌を主な収益源の一つとしてきた出版社にとっては厳しい経営環境と言えます。
  • 書店の減少: 全国の書店数も長期的に減少傾向にあり、リアルな読者接点の減少は、出版社、特に中小・中堅出版社にとって、自社の商品を読者に届ける上での課題となっています。

このような構造的な市場縮小は、経営資源に限りのある中堅出版社にとって、将来に向けた事業戦略の見直しを迫る大きな要因となっています。従来のビジネスモデルだけに依存することへのリスク認識が、新たな収益源の模索へと繋がっていると考えられます。

2. 眩しすぎる成功体験:マンガ発IPが生み出す巨額の富

一方で、出版業界には強烈な「成功事例」も存在します。それが、マンガを起点としたIPビジネスの目覚ましい成長です。

  • メガヒットIPの影響力: 近年、『鬼滅の刃』(集英社)や『呪術廻戦』(集英社)、『東京卍リベンジャーズ』(講談社)、『SPY×FAMILY』(集英社)といった作品が社会的な話題となるヒットを記録しました。これらの作品は、単行本の売上のみならず、アニメ化、映画化、ゲーム化、グッズ化、海外展開など、多岐にわたるメディアミックスによって、大きな経済効果を生み出しています。
    • 事例:『鬼滅の刃』
      • 原作コミックスの累計発行部数は1億5000万部以上と発表されています。
      • 『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、日本国内で歴代1位となる約404.3億円の興行収入を記録(興行通信社調べ)。全世界興収も大きな数字となりました。
      • 関連グッズやゲーム、企業コラボなども含め、多大な経済効果があったと推計されています(例:第一生命経済研究所による2020年の試算)。
    • 事例:『ONE PIECE』
      • 原作コミックスは全世界での累計発行部数が5億部を超えると発表されています。
      • 『ONE PIECE FILM RED』(2022年)は国内興行収入約203.3億円を記録(興行通信社調べ)。
  • IPビジネスの収益構造: ヒットIPは、単なる「原作」提供に留まらず、アニメの配信権・放映権収入、ゲームのライセンス料、キャラクターグッズのロイヤリティ、海外での翻訳出版や映像化権など、収益源が多角的かつ持続的になる可能性を秘めています。一度ヒットIPが生まれれば、それは長期にわたって企業の収益に貢献する重要な資産となり得るのです。
  • 大手出版社の収益構造変化: 実際に、KADOKAWAなどの一部大手出版社では、IPを軸とした事業(映像、ゲーム、グッズなど)が、全体の収益に占める割合を高める傾向が見られます。出版事業が基盤である一方、IP関連事業が成長戦略の一翼を担っている様子がうかがえます。

こうしたメガヒット事例やIPビジネスの収益性は、厳しい経営環境に置かれた中堅出版社にとって、事業ポートフォリオ転換の大きな可能性を示すものとして、強い関心を集めていると考えられます。

3. デジタル革命の波:参入障壁を変化させたテクノロジー

しかし、いくら魅力的な市場であっても、参入のハードルが高ければ難しいのが実情です。ここで重要な役割を果たしたのが、デジタル技術の進展です。

  • 電子書籍市場の成長: インプレス総合研究所『電子書籍ビジネス調査報告書2024』によると、日本の電子書籍市場規模は成長を続けており、2023年度には6000億円を超えたと推計されています。その中でも電子コミックが市場の大半を占めています。
  • ウェブトゥーン(縦読みマンガ)の台頭: スマートフォンでの閲覧に最適化された縦スクロール・フルカラー形式のウェブトゥーンは、韓国発で世界的に市場を拡大しています。「ピッコマ」(カカオピッコマ)や「LINEマンガ」(LINE Digital Frontier)といったプラットフォームが日本でも多くのユーザーを獲得し、市場の成長を牽引しています。世界のウェブトゥーン市場規模についても、将来的な大きな成長予測が複数の調査機関から発表されています。
  • デジタル化によるコスト構造の変化:
    • 初期投資の比較優位性: 印刷・製本、物理的な流通、在庫管理といったコストが不要なため、紙媒体と比較して、新規レーベルや作品を立ち上げる際の初期投資やリスクを抑えやすくなりました。
    • 新たな流通チャネル: 大手取次や書店網に加えて、デジタルプラットフォームを通じて直接全国・全世界の読者にリーチできる可能性が広がりました。
    • データ活用の可能性: 読者の閲覧データを分析し、作品作りやマーケティング戦略の改善に活かすことが可能になりました。これにより、PDCAサイクルを回し、ヒットの確度を高める試みがしやすくなったと考えられます。

かつてマンガ出版において重要だった物理的なインフラ(印刷・流通・書店棚)の相対的な重要性が、デジタル化によって変化しました。これにより、中堅出版社にとっても、特にデジタルの領域においては、新規参入や事業展開のハードルが以前より下がったと言えるでしょう。これが「今」参入する企業が増えている背景の一つです。

4. 中堅出版社の具体的な動き:それぞれの戦略と挑戦

では、具体的にどのような中堅出版社が、どのような形でマンガ・IP開発に乗り出しているのでしょうか。報道されている情報や各社の発表から、いくつかの事例を見てみましょう。

  • 文藝春秋:
    • 総合出版社としてのブランド力を背景に、文芸作品やノンフィクションのコミカライズなどを手掛けています。
    • ウェブメディア「文春オンライン」内でのマンガ連載や、電子コミックレーベル「文春コミック」を展開しています。
    • 『定額制夫のこづかい万歳』など、独自の切り口を持つ作品も見られます。
  • 新潮社:
    • ウェブコミックサイト「くらげバンチ」を2013年から運営しており、デジタル展開に比較的早期から取り組んできました。
    • 『極主夫道』や『働かないふたり』といった作品は、アニメ化やドラマ化も実現しています。
    • 小説レーベルとの連携によるコミカライズなども展開しています。
  • ダイヤモンド社:
    • ビジネス・経済書の出版社としての知見を活かし、ビジネスパーソン向けマンガコンテンツに注力している様子がうかがえます。
    • 『まんがでわかる 7つの習慣』シリーズなど、既存のベストセラー書籍のコミカライズが成功事例として知られています。
    • 近年はオリジナルマンガの企画・開発にも取り組んでいると報じられています。
  • SBクリエイティブ:
    • ソフトバンクグループの一社で、ライトノベルレーベル「GA文庫」で知られています。
    • GA文庫作品のコミカライズを「ガンガンGA」などで展開。
    • ウェブトゥーン事業への参入も表明し、オリジナル作品の開発を進めていると発表しています。
  • マイナビ出版:
    • 就職・転職情報や専門書籍などを手掛けるマイナビグループの出版事業会社。
    • 女性向けコミックレーベル「コミックELMO」などを展開し、ウェブトゥーン制作にも着手していると報じられています。

これらの事例からは、各社が自社の既存の強み(ブランド力、特定ジャンルのノウハウ、既存コンテンツ資産)を活かしつつ、デジタルプラットフォームを重要なチャネルとしてマンガ・IP開発に取り組んでいる様子がうかがえます。特にウェブトゥーンへの取り組みは、多くの出版社にとって重要な戦略の一つとなっているようです。また、外部のウェブトゥーンスタジオとの協業や、編集プロダクションへの出資・M&Aといった動きも報道されています。

5. 甘くない現実:立ちはだかる課題と熾烈な競争

しかし、参入のハードルが下がったとはいえ、成功への道筋が容易になったわけではありません。中堅出版社がマンガ・IP開発で直面すると考えられる課題は依然として多く存在します。

  • 競争環境の激化:
    • 大手とのリソース差: 集英社、講談社、小学館、KADOKAWAといった大手出版社は、資金力、ブランド認知度、多数のヒットIP実績、充実した編集・営業体制、メディアミックス展開のノウハウなど、多くの面で大きなリソースを有しています。
    • 多様なプレイヤーの参入: 中堅出版社だけでなく、IT企業(Cygames、DMMなど)、ゲーム会社、広告代理店、さらには海外資本(特に韓国のウェブトゥーン関連企業)など、多様なプレイヤーが市場に参入しており、競争は激しさを増しています。
    • プラットフォームの影響力: ピッコマやLINEマンガのような巨大プラットフォームの存在感が増す中で、出版社としては手数料負担や交渉力の維持といった課題に直面する可能性もあります。
  • 人材獲得・育成の難しさ:
    • マンガ編集者の重要性: ヒット作の創出には、才能の発掘・育成、作品の質的向上、作家との良好な関係構築などを担う、経験豊富な編集者の存在が重要です。しかし、そのような人材は業界内で需要が高く、獲得競争は激しい状況です。
    • 専門人材の不足: ウェブトゥーンの制作進行管理、データ分析に基づいたデジタルマーケティング、ライセンス管理、海外展開といったIPビジネスに必要な専門スキルを持つ人材も、十分とは言えない状況です。社内育成には時間がかかり、外部からの獲得も容易ではありません。
  • 投資とリスク管理:
    • 制作コスト: 特にウェブトゥーンは、フルカラー、分業制といった特徴から、従来のモノクロマンガ制作と比較して、1話あたりの制作コストが高くなる場合があります。
    • メディアミックスへの投資判断: ヒットの兆しが見えたとしても、アニメ化やゲーム化といったメディアミックス展開には多額の投資が必要となるケースが多く、中堅出版社にとっては大きな経営判断となります。投資回収のリスクも伴います。
  • ヒット創出の難易度: 多くの出版社が意欲的に参入しているものの、現時点(2025年4月)で、中堅出版社の新規マンガ事業から、業界全体に大きなインパクトを与えるメガヒットIPが次々と生まれている状況とは、まだ言えません。ヒット作創出の難易度は依然として高いと考えられます。
  • クリエイター(作家)の獲得競争: 才能ある作家や将来有望な新人は、出版社やプラットフォームにとって最も重要な存在です。魅力的な条件を提示する大手や他社との間で、クリエイターの獲得競争も激しくなっています。

これらの課題を乗り越え、持続的な成果を上げるためには、各社独自の強みを活かした差別化戦略、効率的な投資判断、そして何よりも「読者に支持される良質な作品を生み出し続ける体制」 を構築することが不可欠です。

6. 変わりゆくクリエイターとの関係性

出版社のIP戦略の変化は、マンガ家や作家といったクリエイターにも様々な影響を与えています。

  • 発表機会の増加: 参入企業が増えることで、クリエイターにとっては作品を発表するプラットフォームが増え、デビューや連載のチャンスが広がっています。特にウェブトゥーンという新しい表現形式は、新たな才能にとって挑戦の場ともなっています。
  • IP展開を巡る期待と影響: 出版社側が当初からメディアミックスを視野に入れている場合、企画段階からIP展開を意識した作品作りが求められるケースも出てくる可能性があります。クリエイターにとっては、自身の作品が多角的に展開されるチャンスである一方、創作活動に影響を与える側面もあるかもしれません。
  • 契約・収益モデルの多様化: 従来の印税モデルに加え、プラットフォームでの売上に応じたレベニューシェア、原作使用料、メディアミックス展開時の収益分配など、契約形態や収益モデルは以前より複雑化・多様化する傾向にあります。クリエイター側にも、契約内容に関する知識や理解がより一層求められるようになっています。
  • 出版社との関係性の変化: 編集者との一対一の関係性に加え、エージェントを介した契約や、クリエイター自身がSNS等で高い発信力を持つケースも増えています。出版社とクリエイターの関係性も、より多様な形へと変化していく可能性があります。

結論:厳しい、しかし避けられない未来への航海

中堅出版社のマンガ・IP開発への本格参入は、単なる流行や一時的なブームというよりも、縮小傾向にある既存市場への対応、新たな成長分野への進出、そして企業としての持続可能性を高めるための、重要な経営戦略と位置づけられます。

デジタル化によって参入のハードルは下がった側面もありますが、その先には大手出版社や多様な新規参入組との熾烈な競争、人材獲得の難しさ、投資リスクといった、乗り越えるべき多くの課題が存在します。簡単な成功が約束されているわけではありません。

しかし、変化する市場環境に対応し、未来への活路を見出すために、多くの出版社が覚悟を持ってこの新たな領域へと漕ぎ出しています。彼らの挑戦が、出版業界全体の活性化、多様な才能の発掘、そして私たち読者にとって魅力的な新しい物語やコンテンツの誕生につながっていくのか。その動向は、今後も注視していく必要があるでしょう。