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なぜ若者はマスクを着ける?素顔を見せる不安とアフターコロナのマスク文化

マスクをつけた若者(イメージ)

数年前まで、多くの人にとってマスクは風邪をひいた時や花粉症の時期に使う、限定的なアイテムでした。しかし、新型コロナウイルスのパンデミックを経て、マスクは私たちの日常に欠かせない存在となり、今や着用が個人の判断に委ねられてもなお、多くの場所で見慣れた光景として存在しています。

特に、若い世代の間で比較的高いマスク着用率が続いていることは、しばしば話題に上ります。感染予防という合理的な理由だけでは説明しきれない、彼らなりの、そして私たち自身の内面や社会との関係性に関わる理由があるのかもしれません。

今回は、そんなマスクについて、私たちが今考えてみたい3つのこと——なぜ若者にマスク文化が根付いたのか、マスクを着けていると安心する心理とは何か、そしてこのマスク文化は今後どこへ向かうのか——について、じっくりと探ってみたいと思います。

なぜ、若者に「マスク文化」は深く根付いたのか?

まず、なぜ若い世代にこれほどマスク着用が根強く残っているのでしょうか。彼らが多感な時期にコロナ禍を経験したことは、その大きな理由の一つと考えられます。中学、高校、大学、そして就職といった、自己形成や社会性の獲得において非常に重要な数年間を、「マスクがあること」が当たり前の環境で過ごしたのです。

この時期の彼らにとって、新しい友人との出会い、クラスや部活動、ゼミでの交流、アルバイト先での接客、そして初めての就職活動や社会人としての第一歩が、常にマスク越しに行われました。対面でのコミュニケーションは「顔の半分以上が隠れている状態」がデフォルトであり、他者の表情を読み取ったり、自分の感情を伝えたりする際に、目元や声のトーン、ジェスチャーといった限られた情報に頼るスキルが発達しました。同時に、表情全体を使ったコミュニケーションの経験値は相対的に少なくなり、その「筋力」が十分に養われなかった、あるいはブランクが生じてしまった側面があるかもしれません。

また、思春期以降の若い世代は、他者からの視線や評価、そして自身の外見に対して非常に敏感な時期です。ニキビや肌荒れ、メイクの出来不出来、歯並び、あるいはコンプレックスに感じている顔のパーツなど、外見に関する不安は尽きません。マスクは、そうした外見の悩みや「人からどう見られているか」というプレッシャーから、一時的に解放してくれる「安全地帯」のような役割を果たしました。長期間にわたりマスクで顔を隠すことに慣れてしまった結果、いざ素顔を見せることに以前より抵抗を感じたり、「素顔ギャップ」を気にして自信を持てなくなったりしている若者も少なくないと言われています。

さらに、コロナ禍を経てオンラインでの交流が増え、SNSでの自己表現がより一般的になったことも影響しているかもしれません。SNSでは、写真や動画を加工したり、自分の「見せたい部分」だけを切り取って発信したりすることが容易です。こうした理想化された自己像と、リアルな「素顔の自分」との間に生まれるギャップへの不安が、現実世界で素顔を見せることへの抵抗感を強め、マスクへの依存を高めている可能性も考えられます。

これらの要因が複合的に絡み合い、若い世代にとってマスク着用が単なる衛生習慣を超え、自己意識や対人関係における心理的なツール、あるいは彼らのアイデンティティの一部とも言えるような「文化」として、深く根付いているのではないでしょうか。

マスクを着けていると「安心」なのは、どんな心理?

マスクを着けているとホッとする、安心する、落ち着く、と感じる人は、若者に限りませんが、その心理をもう少し掘り下げてみましょう。

まず、最も分かりやすいのは感染予防への安心感です。自分自身が感染しない、あるいは無症状でも他人に移さない、という意識は、長期間にわたるパンデミックの中で多くの人に刷り込まれました。特に、高齢者や基礎疾患を持つ人など、リスクの高い人々と接する機会がある場合、マスクを着用していることによる安心感は大きいでしょう。

しかし、安心感の理由はそれだけではありません。前述の「外見を隠せる」ことによる安心感は、特に素顔への自信がない人や、人前に出る際に緊張しやすい人にとっては非常に大きな要素です。マスクが顔の多くを覆うことで、他者からの視線が目元に集中しやすくなり、顔全体を見られている、評価されている、という感覚が和らぎます。これは、他者の視線や評価から自分を守る、心理的なバリアとしての安心感と言えます。

また、社会的な同調圧力や「浮きたくない」という気持ちも安心感に繋がります。周囲の多くの人がマスクを着けている中で自分だけが着けていないと、どこか落ち着かない、好奇の目で見られている気がする、と感じることがあります。自分もマスクを着けることで、集団の中に溶け込み、「普通であること」による安心感を得られるのです。これは、日本の集団主義的な文化や、和を重んじる国民性と関連が深いかもしれません。

さらに、花粉症やアレルギー体質の人にとっては、物理的に原因物質の吸入を防いでくれる安心感。冬場の乾燥した空気から喉や肌を守ってくれる保湿・防寒効果による安心感も、マスクを手放せない理由の一つです。

これらの「安心」は、単なる病気への不安だけでなく、外見への不安、他者との関係性への不安、そして社会の中で「正しい行動」をできているかという不安など、様々な種類の不安を和らげる機能を持っていると言えるでしょう。マスクは、物理的な布であると同時に、私たちの心を守る「見えない鎧」のような存在になっているのかもしれません。

この「マスク文化」、将来的にはどうなる?

パンデミックという特殊な時期を経て根付いたマスク文化は、今後どのように変化していくのでしょうか。完全にコロナ前の「誰もマスクを着けていない」状態に戻るのか、それともこのまま定着していくのか。未来のことは誰にも分かりませんが、いくつかの可能性を考えることができます。

一つは、TPOに応じた使い分けが、より一般的になるという可能性です。すでに、屋外や比較的空いている場所ではマスクを外す人が増えていますが、公共交通機関の混雑時、病院や高齢者施設を訪問する際、あるいは自身や周囲に体調不良の人がいる場合など、特定の状況下では今後も多くの人がマスクを選択するでしょう。花粉症の季節や、インフルエンザなどの他の感染症が流行する時期にも、マスク着用は自然な光景として残りそうです。

これは、完全に義務ではないけれど、個人の判断や場の状況、他者への配慮に基づいて柔軟にマスクを着ける、という新しい習慣の定着を意味します。過去にインフルエンザをきっかけに冬場のマスク着用が広がったように、今回のパンデミックは、マスクを使う場面や期間をさらに拡大させたと言えるでしょう。

そして、マスクが単なる衛生用品を超えた意味合い、つまり「他者への配慮」や「自分自身の安心感の確保」、「ファッションや自己表現の一部」といった側面は、今後も残っていくと考えられます。特に若者世代にとっては、これらの心理的な、あるいは文化的な側面が、着用を続ける大きな理由となるかもしれません。色やデザインの豊富なマスクが、アクセサリーのように選ばれるようになる可能性もゼロではありません。

もちろん、マスク着用によるコミュニケーションの弊害や、身体的な負担を避けるために、可能な限りマスクを外したいと考える人も多くいます。表情が見えないことによる誤解や、相手の感情が読み取りにくいことへのストレスも無視できません。

将来的には、「みんなが同じようにする」のではなく、個々人がそれぞれの価値観や状況に基づいてマスクを着けるか着けないかを判断し、多様な選択が共存する社会へと向かうのではないでしょうか。そして、その多様な選択を、お互いが尊重し合えるかどうかが、これからの社会に問われる大切な点になるはずです。

マスクを通して見えてくる、私たち自身

マスクは、単なる布切れではありません。それは、感染症という脅威と向き合った数年間の私たちの経験であり、他者への思いやりや社会的な協調性の表れであり、そして、人からどう見られているか、自分自身の素顔とどう向き合うか、といった個人的な葛藤や安心感とも深く結びついています。

特に若い世代に深く根付いたマスク文化は、彼らが変化の大きい時期に経験した社会的な出来事や、現代の若者を取り巻く自己意識、コミュニケーション環境などが複雑に絡み合った結果と言えるでしょう。

マスクを着ける、着けないという選択は、実は私たちの内面や、社会との関係性、そして他者への向き合い方を映し出す鏡なのかもしれません。この新しい(あるいは進化する)マスク文化の中で、私たちは自分自身の心地よさを見つけながら、異なる選択をする他者にも寛容であることの重要性を、改めて考えていく必要があるのではないでしょうか。