近年、私たちの日常に静かな変化が訪れています。「若者のアルコール離れ」という言葉を耳にすることも増え、スーパーやコンビニの棚にはノンアルコール飲料がずらりと並ぶようになりました。この「酒離れ」は一時的なブームなのでしょうか? それとも、日本の社会と文化に深く根付く飲酒習慣が、根本から変わりつつあるサインなのでしょうか?
私たちがこれまでの議論で深掘りしてきた予測をもとに、来るべき「飲まない社会」の姿とその背景を探ります。
静かなる変革:たばこの道のりをたどる飲酒文化
飲酒を取り巻く状況は複雑で、一概に「完全に飲まなくなる」とは言えません。しかし、いくつかの明確な潮流が見て取れます。特に、日本を含む多くの先進国では、若年層を中心にアルコール消費量の減少が進んでいます。健康意識の高まりや、「ソバーキュリアス」(あえてお酒を飲まない、または少量で楽しむライフスタイル)の広がりがその背景にあります。
この変化のペースを理解する上で、たばこが経験してきた歴史は示唆に富んでいます。日本では、2003年の健康増進法施行を契機に、たばこは「個人の嗜好品」から「他者に害を及ぼすもの」へと認識が変化しました。公共の場での禁煙が当たり前になり、「喫煙=悪」という社会的なスティグマが確立されるまで、およそ10~20年かけて、その認識は急速に浸透しました。
アルコールの場合、たばこのような劇的な規制強化は現状では見られませんが、健康への意識や社会的な「空気」の変化は、たばこほど急激ではないにせよ、着実に進んでいます。この点において、飲酒文化もまた、より健康志向で、社会的な配慮を重視する方向へと緩やかに、しかし確実にシフトしていると言えるでしょう。
消えゆく儀式:「とりあえず生」の未来
この流れが続けば、10年後の日本の飲酒風景は、今とは大きく異なっているはずです。
かつてのビジネスシーンで定番だった「とりあえず生!」という乾杯の号令は、もはや懐かしのフレーズとして語られることになるかもしれません。ハラスメント意識の高まり、多様な働き方、そしてアルコールを伴わないコミュニケーションを志向する若い世代の台頭が、この文化を急速に過去のものへと押しやるでしょう。
飲酒は、「日常の習慣」から「特別な日の演出」や「深い趣味」へとその位置づけを変えていきます。
- ノンアルコール・低アルコール(NoLo)飲料は、味も種類もさらに進化し、アルコールを含まない「乾杯」が当たり前になります。飲む人・飲まない人関係なく楽しめる選択肢として、ますます市場を拡大するでしょう。
- 飲酒をする層は、「量より質」を強く求めるようになります。自宅でじっくりと、こだわりのワインや日本酒、クラフトビールを味わう「自宅消費(オフプレミス)」は、単なる手軽さを超え、そのお酒が持つストーリーや、テイスティングといった「趣味」としての側面を色濃くしていきます。
この変化の中で、アルコールは「幅広い層が日常的に消費する飲料」から、「大人の嗜好品」へとその性格を強めていくでしょう。現在の高齢者層が酒を嗜む傾向は続きますが、同時に、若い世代の間でも「普段は飲まないけれど、たまに良いものをじっくり味わう」という、量より質を重視した成熟した消費スタイルが定着すると考えられます。
光と影:社会の階層化と「ストロング系」が問いかけるもの
しかし、この変化の裏には、見過ごせない「影」も存在します。かつて一世を風靡した「ストロング系酎ハイ」のブームは、その典型的な例でした。安価で手軽に「酔い」を得られるこれらの飲料は、経済的な不安や日々のストレスを抱える人々にとって、短時間で現実逃避ができる「安価なストレス解消法」として機能した側面がありました。
社会の階層化が進む現代において、アルコールが引き起こす危険性は、特定の人々にとって増大する可能性があります。経済的に不安定な立場にある層ほど、安価で高アルコールな飲料に依存しやすく、結果としてアルコール依存症や健康問題のリスクが高まることが懸念されます。これは、アルコール消費の「健全化」が進む一方で、その恩恵から取り残される層が存在するという、社会が向き合うべき重要な課題となるでしょう。
新たな満足の源:酒が満たしていたニーズの代替
では、かつて酒が果たしてきた「現実逃避」「ストレス解消」「社交」「帰属意識」「没頭感」といった人間の普遍的な欲求は、今後何によって満たされていくのでしょうか?
最も大きな役割を果たすと予測されるのは、以下の二つの領域です。
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デジタルコンテンツ・オンラインコミュニティ: スマートフォンと高速インターネットの普及により、ゲーム、動画配信サービス(YouTube, Netflixなど)、SNS、そしてバーチャル空間が、手軽な現実逃避、ストレス解消、そして新しい形の社交と帰属意識の場を提供します。場所や時間に縛られず、個人のペースで楽しめる点が最大の強みです。
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特定の趣味・「推し活」(推しを応援する活動): アニメ、アイドル、キャンプ、筋トレ、創作活動など、特定の対象に深く没頭する活動は、強い没頭感と達成感をもたらし、ストレス解消に繋がります。また、同じ趣味を持つ人々とオンライン・オフラインで交流することで、強固なコミュニティを形成し、帰属意識を満たすことができます。
これらの代替手段へのシフトは、特に先進国で顕著ですが、デジタルインフラの普及に伴い、グローバルな潮流として世界中に広がっています。
まとめ:進化のその先へ
10年後の日本社会では、飲酒はもはや「当たり前の習慣」ではなく、「個人の選択」へと明確に変わっているでしょう。アルコールは、「特別な日を彩る存在」や「深く探求する趣味」としての価値を強めていきます。
しかし、その光の裏で、アルコールに助けを求める人々への社会的な視線やサポートの必要性も増すかもしれません。
飲酒文化は、社会の変化に合わせて常に進化を続けています。私たちは今、その大きな転換点に立っています。この変化を理解し、多様な選択肢を尊重し合える、より豊かで健康的な社会を築くために、私たちはどのような一歩を踏み出すべきでしょうか。