Abtoyz Blog

ニュースの裏側に潜む「構造」を、独自の視点と個人的な思い出で読み解く考察ブログ。テクノロジーから都市論、文化史まで、抽象的な事象を言語化し、変化の激しい現代を賢く生き抜くための視座を提示します。

思春期は32才まで続く―ケンブリッジ大学2025年研究が示した「脳の5つの時代」と、釈迦・老子・カミュが2500年前に気づいていたこと

脳科学と2500年の哲学が、同じことを言っていた(イメージ)

あなたの思春期は、まだ終わっていないかもしれない。

2025年、ケンブリッジ大学が科学誌『Nature Communications』に発表した研究が示した数字は「32才」だ。記憶力、判断力、コミュニケーション能力が伸び続ける「思春期」は、9才に始まり、32才まで続く。「大人になるのは18才か20才から」という常識は、脳科学的には完全に誤りだった。

この数字を聞いて、妙に腑に落ちた人がいるのではないか。年齢を重ねているのに、まだどこか「途中」な気がする。そもそも「完成した自分」が実在するのか疑っている。その感覚は、弱さでも錯覚でもなかった。あなたの脳が、設計どおりに動いていた証拠だ。

だがこの研究が本当に面白いのは、「32才」という数字ではない。その先にある問いだ。

脳が32才まで書き換わり続けるということは、「自分」の神経基盤が32才まで別物になり続けるということだ。書き換わる前の「自分」と、書き換わった後の「自分」は、同じ存在と呼べるのか。

そしてこの問いを、2500年前にすでに立てていた人たちがいた。

 


脳の一生は「5つの時代」に分かれる

Alexa Mousley博士とDuncan Astle教授らのチームが発表した研究は、0才から90才の4,216件のMRIスキャンを分析し、脳のネットワーク構造が生涯を通じてどう変化するかを追跡したものだ。

そこで明らかになったのは、脳には生涯に4つの重大な転換点(9才・32才・66才・83才)があり、それによって脳の一生は5つの時代に分かれるという事実だった。

時代 年齢 特徴
幼児・児童期 誕生〜9才 神経回路の急速な統合・不要な接続の刈り込み
思春期 9才〜32才 脳ネットワーク効率の急上昇・生涯最大の転換点
成人期 32才〜66才 最長の安定期。30年以上、大きな転換点は訪れない
初期老化 66才〜83才 白質の緩やかな変性・認知リスクの増大
後期老化 83才以降 全体的な接続の減少・局所依存の増加

特に注目すべきは9才から32才にかけての「長い思春期」だ。この時期、脳の接続効率は生涯でもっとも劇的に向上し続け、それに伴って記憶力・判断力・コミュニケーション能力が伸び続ける。主著者のMousley博士はこう述べている。「32才頃、私たちは脳の配線において最も方向性のある変化と、最大の軌道変化を確認しました。これは生涯のあらゆる転換点と比較しても際立っています」

しかしこの時期はまた、精神的な揺れとも表裏一体だ。うつ病や不安障害の発症率が最も高いのは15〜25才。Mousley博士は「脳構造が大きく変化する時期であることが、こころの揺れと関係している可能性がある」とも指摘している。能力が伸びることと、心が揺れることは、同じコインの裏表なのだ。

ここで一つ、重要な留保を記しておく。この研究のデータは英国・米国を中心とした西洋諸国のサンプルで構成されており、転換点の年齢は文化・環境・栄養などの要因で変化しうる。著者らも「西洋諸国における知見」と明記している。

それでもなお、この研究が突きつける問いは普遍的だ。「自分」の神経基盤が32才まで継続的に別物へと書き換わり続けるなら――固定した「自分」などというものは、本当に存在するのか。

 


2500年前、釈迦も同じ問いを立てていた

紀元前5世紀。釈迦はこう言った。

「諸行無常」――すべての現象は変化し続け、固定した実体などない。

「諸法無我」――「自己」と呼べる固定した実体は、そもそも存在しない。

当時この言葉に、科学的な証拠はなかった。それでも釈迦は、人間の苦しみの根源を「変わらない自己があるという錯覚」に見出した。その錯覚を手放したとき、苦しみは消える、と。

2500年後、MRIスキャン4,216件のデータが言うことは、構造的に同じだ。固定した「自己」の神経基盤など、32才まで存在しない。脳は常に書き換わっている。釈迦が直感によって見抜いたことを、現代の神経科学が計測によって確認した。

「途中な気がする」のは当然だ。あなたの脳は、文字通り途中なのだから。

 


老子が「水」を選んだ理由

老子は言う。「上善若水(じょうぜんじゃくすい)」――最上の善は水のようだ、と。

水は形を持たない。器に従い、低いところへ流れ、ぶつかれば避け、やがて岩をも穿つ。老子がこの比喩に込めたのは、固定した形を持つことへの疑義だ。形があるものは壊れる。形がないものは、あらゆる形になれる。

そして老子はこうも言う。「為學日益、為道日損(いがくにちえき、いどうにちそん)」――学を積めば日々増えるが、道を歩めば日々減る。

この「減る」という方向性が重要だ。脳の成熟もまた、「増える」プロセスではなく「刈り込む」プロセスだ。研究が示した脳の効率化とは、神経接続を増やすことではなく、不要な接続を削ぎ落とし、より少ない経路でより豊かに機能するようになることを指す。

老子は脳科学を知らなかった。しかし彼は、成熟とは「加算」ではなく「減算」だということを、2500年前に知っていた。

 


カミュが言いたかったのは、そういうことだったのかもしれない

アルベール・カミュは「不条理」をこう描いた。人間は意味を求める。しかし世界は意味を与えない。その沈黙の中に放り込まれることが、人間の根本条件だ、と。

多くの人はこれを「虚無」の哲学として読む。しかし別の読み方ができる。

カミュが問題にしたのは、「意味が固定されないこと」ではない。「意味が固定されるべきだという思い込み」だ。自己も、人生も、意味も――固定されるべきだという前提を疑わない限り、不条理は苦しみとしてしか経験されない。

脳が32才まで書き換わり続けるということは、「意味が固定される前の期間」が生物学的に保証されているということだ。それはバグではなく、仕様だ。カミュが「不条理に反抗せよ」と言ったのは、その仕様を受け入れ、その中で生き続けることの肯定だったのかもしれない。

ここで立ち止まると、三者の共鳴が見えてくる。

釈迦は「無我」と言った。老子は「水」と言った。カミュは「不条理」と言った。表現も時代も文化もまったく違う。しかし三者が指していた方向は、同じだ。「自己は固定されていない」という事実を、苦しみの源泉ではなく、存在の条件として受け取れ。

2500年かけて、人類は同じことを言い続けていた。そして2025年、脳科学がついにそれを別の言語で証明した。

 


では「固定」されたとき、人は何を失うのか

32才を過ぎると、脳のネットワークは安定期に入る。研究によれば、そこから66才まで、脳に大きな転換点は訪れない。30年以上の安定だ。

これは一般に「成熟」として語られる。判断が安定する。感情の振れ幅が落ち着く。自分の輪郭がはっきりしてくる。それは確かに、獲得だ。

しかし同時に、何かが閉じていく。

9才から32才にかけて脳が持っていた、あの根本的な開かれ。自己の神経基盤そのものが流動していた、あの状態。釈迦の言う「無我」、老子の言う「水」、カミュの言う「不条理の中の自由」――それらが最もリアルに体験されていたのは、脳が最も可塑的だった、あの時期だったのではないか。

成熟とは、ある種の「閉じ方」を選ぶことだ。無数の可能性から、一つの形を選び取ること。水が器の形になること。それは獲得であると同時に、喪失でもある。

この問いを、答えを出さずに持ち帰ってほしい。32才を過ぎた人も、まだ手前にいる人も、それぞれ違う重さでこの問いを受け取るはずだ。

 


「年をとると頭が硬くなる」は、半分しか正しくない

ここで一つ、よく聞く言葉を検討しておきたい。

「年をとると頭が硬くなる」。

この研究を読むと、それは半分本当で、半分は誤解だとわかる。

32才以降、脳は確かに「安定」する。可塑性は落ち、新しい配線への書き換えは遅くなる。その意味では、脳が「固まる」のは事実だ。しかし「硬くなる」と「固まる」は、まったく異なる。

固まることは、構造の問題だ。硬くなることは、態度の問題だ。

変化を拒む、新しいものを遮断する、昨日と同じ答えを繰り返す――それは脳の構造の問題ではない。固まった脳を、どう使うかの問題だ。

老子の「為道日損」を思い出すといい。32才以降の脳に必要なのは「増やすこと」ではなく「手放すこと」かもしれない。知識を積むのではなく、固定した自己観を意識的に疑い続けること。それは脳の構造に抗う行為ではなく、むしろその構造を活かす知恵だ。

証拠に、こんな事実がある。釈迦が悟りを開いたのは35才とされている。老子が『道徳経』を書いたのは晩年とされている。カミュが『シーシュポスの神話』を書いたのは29才だが、彼の思想が本当の深みを持ったのはその後だ。

脳が「固まった」後に、人は深くなれる。

可塑性の時代が終わることは、成長の終わりではない。流動から深化へ、書き換えから彫琢へ――脳の旅は32才で終わるのではなく、別の様相を帯びて続いていく。

 


「途中」は欠陥ではなく、条件だった

「年齢を重ねているのに、まだ途中な気がする」

その感覚は正しい。脳科学的に、あなたはまだ途中かもしれない。あるいは32才を過ぎていたとしても、「途中」という感覚そのものが、固定された自己という幻想への、静かな抵抗として機能しているのかもしれない。

「そもそも『自分』が実在するのか疑っている」

その疑いも正しい。2500年間、東洋も西洋も、もっとも鋭い思索者たちが同じ疑いを持ち続けた。そして2025年、神経科学がそれを別の言語で確認した。固定された「自分」の神経基盤など、少なくとも32才までは存在しない、と。

だとすれば、問いはこう変わる。

「自分はまだ完成していないのか」ではなく、「完成した自分などというものが、そもそもあり得るのか」。

前者は不安だ。後者は、少し、自由だ。

そしてもし32才を過ぎた後も「途中」と感じ続けているなら――それはおそらく、脳が固まった後も、あなたがまだ深くなろうとしている証拠だ。

 


参考文献

  • Mousley, A., Bethlehem, R.A.I., Yeh, F.-C., Astle, D.E. (2025). Topological turning points across the human lifespan. Nature Communications, 16, 10055. DOI: 10.1038/s41467-025-65974-8
  • University of Cambridge 公式発表(2025年11月25日): "Scientists identify five ages of the human brain over a lifetime"
  • 釈迦牟尼仏『法句経』ほか原始仏典
  • 老子『道徳経』(紀元前4〜3世紀頃)
  • Albert Camus, The Myth of Sisyphus, Gallimard, 1942