Abtoyz Blog

ニュースの裏側に潜む「構造」を、独自の視点と個人的な思い出で読み解く考察ブログ。テクノロジーから都市論、文化史まで、抽象的な事象を言語化し、変化の激しい現代を賢く生き抜くための視座を提示します。

ボクとウチについて――50代、選ばなかった一人称の話

選んだ覚えがない言葉で、今日も話している(イメージ)

一人称が、揺れている

VERY2026年4月号に、ひとつの特集が組まれた。

タイトルは「娘たちの『ボク』呼び現象を読み解く」。誌面には、VERYを読む母親たちからの声が並んでいた。「小学校にあがってから娘が『ボク』と呼ぶんです」「年長の娘のクラスでは『ボク』が流行ってるみたい」。

ファッション誌が、一人称を特集する時代になった。

一人称というのは、本来そんなに意識されないものだ。空気のように使って、空気のように流れていく。それが特集になるということは、その「空気」が変わりはじめているということだ。

 


「ボク」は情緒ではなく、回避だった

かつて「ボクっ娘」という存在は、主にアニメやゲームの世界で育まれた。少女が「ボク」と名乗る、そのギャップに独特の情緒があった。サブカルチャーが長い時間をかけて可視化し、流通させてきた表現だ。

しかし今、小学生の女の子たちが「ボク」を使うとき、そこに情緒はあまりない。

関東学院大学の中村桃子名誉教授(言語とジェンダーの専門家)は、この現象をこう説明する。「わたし」は大人でも使うし、フォーマルな場でも使われる言葉で、少年性の強い「ボク」に比べて子どもらしさがない。男の子が名前呼びから「ボク」へ、そして「オレ」「わたし」へと移行していくのに対して、女の子は名前呼びから一足飛びに「わたし」に飛躍する感覚があるという。

では少女らしい自分を表現するにはどうするか。その答えとして「ボク」や「うち」を借りてくる。

ここが面白い。「ボク」は「女の子らしさ」に反抗しているのではない。むしろ「わたし」という大人の言葉を早急に押し付けられることへの、静かな抵抗だ。もっと素直に言えば、「わたし」がしっくりこないから、「ボク」を借りてきた。ただそれだけの話だ。

VERY誌面で取材された年長の女の子は、「『わたし』ってよぶのはおんなのこだけどなんだかはずかしい」とコメントしている。小学2年生は「みじかくて言いやすいから」と答えた。戦略でも思想でもない。自分の口から出てきたとき、一番しっくりくる言葉を選んでいるだけだ。

 


あのちゃんが証明したこと

この流れを語るとき、あのちゃんという存在を避けることができない。

アーティストのあのちゃんは、一人称「ボク」を使い続けてきた公人として、今や小学生女子に絶大な影響を与えている。VERYはその事実を受けて、あのちゃん本人にインタビューを行った。

その言葉が、重要だった。

小さい頃から小中学生までは「うち」と呼んでいたが、周りが「わたし」に変わっていく中で違和感があり、自分の一人称を言えずに「なんか」「自分は」とごまかしながら話す時期があったという。ゲームの中では必ず男の子のキャラクターを選んで「ボク」と言うのがしっくりきていた。しかし中学・高校ではいじめられた経験があって、「ボク」と言ったらまたいじめられると思い、自分を出せずにいた。

転機は高校のとき。声をかけてくれたグループの子たちが「あたい」「おら」と自由に呼んでいるのを見て、「ボクも自分の呼び方で呼んでもいいかな」と思えた。

その後、芸能界に出てから「売れるためのキャラだ」と揶揄されることもあった。しかしあのちゃんの答えは逆説的だった。だから逆に「売れよう」と思った、と。自分が当たり前にテレビで「ボク」を使っているのが普通になれば、誰にもそういうことは言われない。「ボク」と呼ぶのが自然なことだし、芸能界にいない人が使っても不思議ではないと伝えたかった、と。

結果、それは現実になった。

あのちゃんが「ボク」で歌い、「ボク」でテレビに出続けたことで、一人称の選択肢が社会的に広がった。「自分らしい呼び名で自分を呼べるようになった」という声が届いたり、「わたし」以外の一人称が広まったりしているのは、少なからず影響を与えられたと本人も語る。

重要なのは、あのちゃんの「ボク」が最初から戦略だったわけではないという点だ。しっくりくる言葉を探し、周囲の目を恐れ、ごまかし続け、ようやく「これでいい」と思えた言葉が「ボク」だった。それがたまたま、時代と共鳴した。

ある芸人から「うちの娘があのちゃんの影響で『ボク』って呼んでるよ」と言われたとき、あのちゃんはこう答えている。「自我がなくて流されるんじゃなく、自分で自分の意思を持って選んでいるということは絶対に間違いではないし、その子の"本当"だから素敵で、ちゃんと生きているなって思います」と。

清潔な言葉だと思う。

 


「ボク」と「ウチ」は、今も並走している

あのちゃんの軌跡を見ると、興味深いことがわかる。子ども時代は「うち」、そして「ボク」へ。

VERYの取材に応じた小学1年生の女の子も、「ともだちによって『うち』とよんでいることもあります」と答えている。「ボク」と「ウチ」は矛盾なく並走している。

言語学者の中村桃子教授が指摘する「グループメンバーシップ」という概念がここに働いている。自分がどのグループに属しているかを示す印として、自称詞を合わせるという行動だ。仲のいい友達の前では「ボク」、別のグループでは「うち」、先生や大人の前では「わたし」。三つの一人称が、文脈に応じてリアルタイムに切り替わる。

これは器用さではない。日本語という言語が本来持っている、関係性に応じた自己の再定義能力だ。ただ、今の子どもたちはその能力をより自覚的に、より自由に使っている。

アイデンティティが彫刻ではなく、クラウド上のドキュメントのように扱われている時代だ。編集可能で、文脈によって上書きできる。固定されることを拒否し、常に「今の自分」を更新し続ける。

それは、なかなか豊かなことだと思う。

 


僕の「僕」について

話が変わる。

僕という一人称を、いつ選んだのか覚えていない。

「俺」でも「私」でもなく「僕」になった経緯が、まったく記憶にない。気づいたときにはそこにあった。小学校の廊下で、中学の教室で、最初の名刺を差し出した瞬間に、すでに「僕」は自分の一部だった。

あのちゃんは「なんか」「自分は」とごまかしながら話す時期があったと言った。自分の一人称を言えない時期があった、と。その痛みを経由して「ボク」にたどり着いた。

僕の「僕」には、その種の格闘がない。

選んだ記憶がないということは、選ばなかったということだ。摩擦を避け、風景に溶け込むための制服として、「僕」は気づかぬうちに着用されていた。そこに選択の痛みも、解放の喜びもない。ただ、ある。

それはある種の誠実さだったかもしれないし、単なる惰性だったかもしれない。どちらでも、もはや大差はない。

かつて、この頼りない「僕」という一人称の周囲に、装甲があった。名刺の肩書き、年収の数字、会社という器。それらが「僕」を補強し、一人称の脆さを目立たなくしていた。社会はその装甲を「成熟」と呼んだ。

今、その装甲が少しずつ剥がれている。終身雇用という前提は崩れ、肩書きの価値は流動化した。手元に残ったのは、補強材のない「ただの僕」だ。

だからといって、今さら一人称を選び直すつもりはない。返却する場所もない。

ロールモデルも代表もいない。50代という年齢は、若者文化からは切り離され、老年の物語にはまだ早く、どこにも属さない宙吊りの地帯だ。誰も特集を組まない。

誰の旗も振らず、誰の言葉も借りず、選んだ記憶すらない「僕」という一人称を、ただ今日も使い続ける。