Abtoyz Blog

ニュースの裏側に潜む「構造」を、独自の視点と個人的な思い出で読み解く考察ブログ。テクノロジーから都市論、文化史まで、抽象的な事象を言語化し、変化の激しい現代を賢く生き抜くための視座を提示します。

66.6億円の赤字から4年で最高益へ――「ぴあ」の復活が示す、エンタメ格差の現在地

同じアーティストを愛していても、経験できる熱量は平等じゃない(イメージ)

2026年、「ぴあ」が過去最高益を更新した。コロナ禍で66.6億円の最終赤字を叩き出してから、わずか4年後のことだ。

株価は踊り、メディアは「V字回復の模範解答」と称賛する。しかし、チケット購入画面に積み上がる手数料の数字を眺めながら、あるいは地方公演の中止通知を受け取りながら、どこか割り切れない思いを抱えた人も少なくないだろう。

この「最高益」は、単なる経営努力の結果ではない。長らく当たり前だと思われていた「エンタメへのアクセスの平等性」が、静かに、しかし決定的に書き換えられたことの証明だ。

 


かつて、チケットは「並べば買えた」

1980〜90年代の日本には、今から思えば奇妙なほど平等なエンタメの広場があった。

チケット代は全国一律。CDは再販制度で価格が守られ、スターは赤字を承知で地方の市民会館を回った。図書館でCDを借りてカセットにダビングする行為は法的にグレーだったが、誰もそれを「文化の窃盗」とは呼ばなかった。「みんなが同じ夢を、同じ価格で楽しめる」という感覚が、あの時代の空気にはあった。

デジタル化と市場競争は、この広場を静かに解体した。

 


チケット手数料はなぜ高くなったのか――「仲介業者」から「門番」へ

チケットぴあは2024年10月、2006年以来18年ぶりとなる手数料体系の本格改定を実施した。システム利用料・発券手数料・決済手数料が積み重なり、クレジットカード払いで最低495円、コンビニ払いなら825円。先行販売の「特別販売利用料」が加わる興行では1,500円を超える。

ぴあ側の説明は明快だ。「不正転売対策」「セキュリティ強化」「システムコストの高騰」。いずれも正論である。電子チケットの普及、本人確認の徹底、ファンクラブとの連携——これらは確かに転売ヤーからファンを守る。

だが同時に、これらの仕組みはチケット入手の経路をプラットフォームへと一本化し、その通過コストをユーザーが負担する構造でもある。「安全のためにシステムに入る」→「入ることでコストを負担する」→「負担するほどシステムへの依存が深まる」。この円環の中で、ぴあはもはや仲介業者ではなく、体験への入口を管理する「門番」になった。

なお、2025年度第3四半期(2025年12月末時点)の連結売上高は394億円、営業利益は39億円と前年同期比で約2.5倍。この利益拡大を支えた要因の一つとして、手数料改定によるコスト構造の改善が決算資料に明記されている。

 


市場は拡大した。では、何が拡大したのか

2024年のライブ・エンタメ市場規模は7,605億円と過去最高を更新した。コロナ禍前の2019年比で20.8%増、動員数も8,561万人で最高記録だ。

しかしこの数字の裏に、もう一つの事実が隠れている。公演回数は、いまだコロナ禍前の水準に戻っていない。

市場拡大の正体は、公演の「量」ではなく「単価と規模」の拡大だ。アリーナ公演は2019年比で動員数1.9倍に膨らんだ一方、ホール公演の動員数は89.1%に留まる。関東・近畿への集中が進み、地方を含む全国的な回復にはまだ至っていない、とぴあ総研自身が認めている。

「コンサート市場が過去最高」と「地方公演が減っている」は矛盾しない。むしろ同じ現象の、表と裏だ。

 


コピーが、原本を召喚した

2021〜22年、奇妙な現象が起きた。

1981年リリースの泰葉『フライディ・チャイナタウン』が、TikTokを震源地として世界的なバズを起こした。韓国のDJによるリミックスがナイトクラブで披露され、SNSで拡散。ハッシュタグ合計で視聴回数1,650万回に達し、ロサンゼルスのクラブでは2,000人が昭和のシティポップを合唱した。

決定的なのはここだ。TikTokで拡散されたのは、原曲ではなかった。当時まだストリーミング配信されていなかったため、流通したのはリミックス版やカバー音源だった。原本のないコピーが世界を席巻し、その反響を受けて初めて原曲の公式配信が解禁された。コピーが、原本を召喚したのだ。

ジャン・ボードリヤールはかつて、実体を持たない記号が現実を置き換える時代の到来を論じた。アルゴリズムはその加速装置だ。過去のヒット曲は「エンゲージメントが予測可能な記号」として最適化されており、未知の新人より常に安全な選択肢になる。こうしてタイムラインには、数十年前に完結したはずの文化が「現在」として流れ続ける。新しい才能が注目を集めるコストは上がり、文化の更新サイクルは遅くなる。

アーカイブで満足できるなら、なぜ地方の小屋でライブを観る必要があるのか。その問いが静かに広がるとき、文化の土台は音もなく崩れていく。

 


格差は「熱量」の差ではなく、「アクセス」の差だ

現在のエンタメ格差は、好みや情熱の問題ではない。アクセスのコストの問題だ。

都市部のアリーナでVIP席に座る層と、チケット手数料の重さを感じながらスマホで無料コンテンツを流す層。同じアーティストを愛していても、経験する体験の質はまったく異なる。そしてこの差は、個人の努力で縮めることが難しい構造になっている。

ファンクラブの上位会員だけが抽選の優先枠を持つ。上位会員になるには長年の投資が必要だ。「熱量があれば報われる」という物語は、入場する前の経済的体力を問わない場合にしか成立しない。

かつて地方の市民会館が果たしていた「誰でも同じ価格でアクセスできる場」の役割は、市場の論理の中で縮小している。誰かの悪意の結果ではなく、効率化と最適化が積み重なった末の、静かな帰結として。

 


「最高益」の先で、問いだけが残る

ぴあ総研は2030年の国内ライブ・エンタメ市場を8,700億円と予測する。ただしその成長シナリオの中に、「チケット価格上昇に対する消費者の価格許容度」がリスク要因として明記されている。

つまりこの成長は、単価の上昇によって支えられる部分が大きい。単価が上がるほど、アクセスできる層は絞られていく。市場の規模と、文化の裾野は、必ずしも同じ方向には広がらない。

コピーが原本を召喚し、アーカイブが現在を置き換え、アリーナが地方の小屋を飲み込んでいく。「ぴあが最高益を出した」という一文は、そういう時代の到達点として読むと、少し違う重さを持って見えてくる。

市場は正しく機能している。ただ、「文化」と「市場」が同じ方向を向いているとは限らない。その当たり前の事実を、この決算書は静かに突きつけている。