Abtoyz Blog

ニュースの裏側に潜む「構造」を、独自の視点と個人的な思い出で読み解く考察ブログ。テクノロジーから都市論、文化史まで、抽象的な事象を言語化し、変化の激しい現代を賢く生き抜くための視座を提示します。

私は退屈している——エンタメが「不動産」になった時代の批評 | 2026年

2001年、2018年、2026年——退屈は、こうして完成した(イメージ)

私は退屈している。いつからかは、わからない。気づいたときにはもう、退屈していた。

これを書いているのは、それだけが理由だ。論を立てたいわけでも、業界を批判したいわけでも、誰かを啓発したいわけでもない。ただ、退屈している。そしてこの退屈が、普通の退屈ではないという確信がある。

普通の退屈なら、面白いものを見れば消える。しかし私の退屈は、面白いものを見るほど濃くなる。最新の大作を観て、完璧な作画に息を呑んで、感動的なシーンで涙をこぼして——電車に乗った瞬間に、もう何も残っていない。腹が減っている。さっき何かを食べたはずなのに、腹が減っている。

これは何だ。

 


 

本論に入る前に、一つの言葉を定義しておく。

「ミュータント」 とは、既存のジャンルや市場の文法を内側から破壊し、触れた者の価値観を不可逆的に変える作品・表現——そして、それを生み出す人間のことだ。

1979年の『機動戦士ガンダム』がそうだった。あれは「ロボットアニメ」という体裁を纏いながら、「戦争は誰も英雄にしない」という毒を子供向けのスクリーンに叩きつけた。スポンサーが期待したのは「おもちゃが売れる無害な活劇」だったが、富野由悠季が仕込んだのは「人類への根本的な絶望」だった。ミュータントに出会った人間は、出会う前の自分に戻れない。

そのミュータントが、今、絶滅しかけている。

 


1. 物語が「土地」になった日

答えを探して、私は不動産の話から始めることにした。

優良物件の条件は、収益の安定性と資産価値の持続にある。地主にとって理想的な土地とは、毎月確実に地代が入り続け、価値が下落せず、管理コストが低い場所だ。テナントが「面白い店」を開こうと「つまらない店」を開こうと、地主の関心は基本的にそこにはない。賃料が払われていれば、それでいい。

現代の巨大IP——ガンダム、スター・ウォーズ、ワンピース——は、今やこの「優良物件」として機能している。

物語が土地になると、三つのことが起きる。

まず、完結が禁止される。 完結は資産の消滅を意味するからだ。『ドラゴンボール』の漫画は1995年に終わった。しかし2026年現在、続編アニメ『ドラゴンボール超 銀河パトロール』の制作が決定し、過去シリーズのエンハンスド版まで動いている。孫悟空は完結から30年後も、新しい皮を纏って同じ惑星に立ち続ける。座標は、一ミリも動かない。

次に、作者が管理人に格下げされる。 スター・ウォーズのエピソード8でライアン・ジョンソンは「名もなき一般人でもヒーローになれる」と書いた。シリーズの文法を正面から破壊する試みだった。エピソード9でレイはパルパティーンの孫として再定義された。試みは一作で撤回された。

最後に、毒が洗浄される。 1988年の『AKIRA』は不快な映画だった。核戦争後の廃墟と腐敗したオリンピックを重ねた、徹頭徹尾不快な作品だ。現在その4Kリマスターが高評価を受けている。感想の多くは「映像が美しい」だ。

猛獣が盆栽になる。私たちはその美しさを称賛する。

これが私の退屈の正体の、第一層だ。

重要なのは、この構造が悪意の産物ではないことだ。「観客を傷つけたくない」という優しさ、「雇用を守りたい」という責任感、「失敗できない」という切実な経営判断——これらが積み重なって自然発生した。誰も悪くない。だからこそタチが悪い。

 


〔間奏〕永久機関の三段階進化

私の退屈の輪郭を探るために、この構造がどのように完成してきたかを確認しておく。

2001年。 FOXのドラマ『24』が放送を開始した。「1話=1時間、1シーズン=24時間のリアルタイム」という革命的な構造で、テレビドラマを変えた作品だ。それ自体はミュータントだった。しかしその成功が証明したのは、「物語を終わらせないことがビジネスになる」という原理だ。Netflixはそれを産業化した。完結しないことが、設計思想になった。ミュータントの発明が、永久機関の設計図になった。

2018年。 MCUが『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で19作品のクロスオーバーを達成した。翌年の『エンドゲーム』で物語は完結し、マーベルは問いに直面した——土地が尽きたら、どうする。答えがマルチバースだ。別の宇宙線の別のヒーローたち。土地を平面から立体へと拡張する発明。2022年にマーベルはマルチバース・サーガを公式発表した。それは創作の宣言ではなく、不動産の拡張計画の開示だった。土地は、無限になった。

2026年。 昨年7月、Netflixは生成AIをVFXに使用したと公表した。制作コストが従来の10分の1になったという。12月、OpenAIとディズニーが戦略提携を締結した。ディズニーのIPアーカイブをAIに学習させる。今年から、AIによるインタラクティブ広告の導入が始まる。

近い将来、あなた専用に生成された物語が、リアルタイムで無限に供給される。ルフィがあなたの名前を呼ぶ。あなたが最も泣くパターンの台詞を言う。そのエピソードは世界に一つだ——あなただけの不動産。

私の退屈は、この完成形を予感しているのかもしれない。

 


2. 「穴を掘って埋める」という公共事業

世界的人気漫画『ONE PIECE』を、まだ連載が続いているにもかかわらず、最初から現代の技術で作り直すという計画がある。

これはクリエイティブな挑戦ではない。才能を浪費させるための穴掘り事業だ。

かつての作り手たちが命を削って掘り起こした金鉱を、最新の重機で掘り返し、また丁寧に埋め戻す。技術は向上している。しかし金は、すでに一度掘り出されている。

正直な反論を想定しておく。「原作を知らない新世代への入口になる」「作り直す過程で新たな解釈が生まれる」——それはそうかもしれない。しかし問題にしているのは、原作の文法を変えず解像度だけを上げるリメイクだ。驚きの設計を最初から放棄した、確認作業としての映像化。さらに言えば、たとえ誠実な再解釈を試みたとしても、同じIPの枠内で行われる限り「地主から許可された範囲内の改築」に留まる。ミュータントは、地主の許可を得て生まれるものではない。

なぜこんなことが繰り返されるのか。二つの経路がある。

ひとつは市場の構造だ。制作規模が大きくなるほど失敗のコストが増大し、資本は確実に売れる「過去の地図」に向かう。一つの大作アニメが失敗すれば、スタジオの数百人が職を失う。その重力に逆らって「未知の物語」に賭けられる意思決定者は、構造的に少ない。

もうひとつは作り手の内面だ。リメイクや続編の現場で働き続けた作り手は、既存の「正解」を深く内面化する。問題は、「正解を知っている」という確信が、「まだ誰も見たことのない場所」へ踏み出す動機を静かに削いでいくことにある。産業が作り手を潰すのではなく、産業の中で誠実に働くことで、作り手が自分の中の「未知への衝動」を少しずつ手放していく。

これが私の退屈の、第二層だ。

 


3. 「よく出来た製品」を「芸術」と呼ぶ罠

ミュータントに出会うとは「損傷」することだ。

観客を傷つけ、二度と前の自分に戻れなくさせる暴力。1984年の映画『風の谷のナウシカ』を観た子供たちの一部は、「環境破壊」という概念を倫理の問題として内面化した最初の世代になった。その傷は、40年後も残っている。

しかし現代の制作環境は、この損傷をシステム的に回避する。むき出しの芸術——荒削りな映像、不安定な演技、生々しいノイズ——は「低品質」としてアルゴリズムから弾かれる。投資家は予測可能なクオリティを求め、プラットフォームは視聴継続率を下げるコンテンツを排除する。そうしてクラフト(技術水準)の壁が極限まで厚くなる。

檻としてのクラフト——中身の空虚さを隠すための、完璧な作画と演出。

「作画が神だ」と言う。「演技が完璧だった」と言う。しかし「あれを見て自分の世界が変わった」とは言わない。猛獣(芸術)が、いつの間にか盆栽(クラフト)に作り替えられていく。その盆栽の美しさを愛でながら、私たちは「芸術に触れた」と錯覚させられているのだ。

これが第三層だ。

ただし、クラフト自体を否定したいわけではない。問題はクラフトが目的化した場合だ。クラフトには全く異なる二つの顔がある——叫びを消す「檻」と、叫びを届ける「船」。この区別が、次章の核になる。

 


4. あなたの「退屈」は本物か

竹宮惠子の漫画『地球へ…』に「特殊統治(SD体制)」という支配システムが登場する。コンピュータ「マザー・イライザ」が人間の適性を判定し、最適な役割へ配置し、異分子を排除する体制だ。私はこれをフィクションだと思わなくなって久しい。

Netflixの「あなたへのオススメ」、Spotifyの「週間Discover」、TikTokの無限スクロール——アルゴリズムが私たちの好みを先回りして予測し、「最高に心地よい正解」を配給し続ける。差し出される物語に、ハズレはない。しかしそこには「出会ってしまった」という事故のような衝撃もない。

予測の的中は、「去勢」だ。自分の好みを外部委託した瞬間、人間は「自ら選び、自ら傷つき、自ら立ち上がる」回路を少しずつ手放していく。そして間奏で述べた「個人への配給」が完成したとき、その去勢は完璧になる。自分専用の不動産に住み続ける人間に、外の荒野は見えなくなる。

 


 

ここで、ひとつの問いを置く。

あなたが今のエンタメに感じている「退屈」は、どこから来ているか。

退屈には二種類ある。ひとつは疲労や加齢による感受性の鈍化——これは生理的な現象で、休息によって癒やされる。もうひとつは「本当に欲しいものが、ここにはない」という渇望の自覚——これは休息では消えない。どれだけコンテンツを消費しても空洞は埋まらない。それどころか、消費するほど空洞の輪郭は鮮明になっていく。

自分の退屈がどちらか、正直に確かめてほしい。

前者なら、あなたには休息が必要だ。後者なら——それは認識能力の発現だ。「今与えられているものと、自分が本当に必要なものは違う」と気づく能力。動物は与えられた餌を食べる。人間だけが「この餌ではない」と気づき、言語化できる。その渇きを自覚しているなら、あなたはまだシステムの部品になりきっていないミュータントだ。

その退屈を「わがままかもしれない」と内面化した瞬間、あなたはシステムの側に吸収される。

 


5. 底意地の悪い反逆——「船」としてのクラフト

では、この地獄でどう生き残るか。

富野由悠季の話をする。

45年以上もの間、スポンサーが要求する「おもちゃを売るためのロボットアニメ」という皮を纏いながら、その内側に人類への絶望と個の解放という毒を仕込み続けてきた男だ。TVシリーズが打ち切られた後、1982年に劇場版として公開された『伝説巨神イデオン 発動篇』では、主人公を含む全登場人物が宇宙規模の暴力によって死滅するラストを描いた。スポンサーが期待した「子供が喜ぶ着地」を、富野は「全員の死と転生」で上書きした。これがミュータントの仕事だ。

彼の戦略は「ゲリラの論理」だ。クラフトの皮を完璧に被せて、その中に毒をこっそり流通させる。

クラフトには二つの顔がある。

「檻としてのクラフト」 は、叫びを持たない作品が空洞を隠すために纏う技術の鎧だ。クオリティが高いほど中身のなさが露見しにくく、観客は損傷されないまま帰る。

「船としてのクラフト」 は、届けたい毒をシステムの検閲をくぐり抜けて運ぶ乗り物だ。叫びを消さない。守り、運ぶ。荒削りな反体制は最初のフィルタリングで止められるが、完璧な外皮を持つミュータントは「良質なコンテンツ」として堂々と流通する。

富野が纏ったのは、後者だ。

この戦略を、三つの動詞で整理する。

擬態せよ。 システムが要求する最高級の製品を演じろ。文句のつけようがない完成度でその外皮を作れ。荒削りな反逆は最初のフィルタリングで止まる。

仕込め。 観客が「心地よい」と油断した隙に、喉元に消えない違和感を突き立てろ。怒鳴り声でなくていい。「あれ……?」という静かな引っかかりの方が、深く刺さる。

逸れろ。 みんなが向かう「北極星(売上・共感)」ではなく、南半球の暗闇でしか見えない「南十字星」の方角へ——自分だけの終わりを目指せ。多数派に評価されることと、正しい方向に進むことは、別のことだ。

システムを憎むな。憎しみは人を消耗させる。システムの内側で、システムが予測できないものを作れ——それだけだ。ジャンルを愛しながら、その文法を逆手に取る。スポンサーの期待を超過達成しながら、その内側に「期待されていなかったもの」を忍ばせる。それが、資本主義という生態系の中で、ミュータントが生き延びるための術だ。

 


結びに代えて:すべてのミュータントへ

私は退屈している。いつからかは、わからない。

しかし今、その退屈の輪郭が少し見えてきた。物語が土地になり、完結が禁じられ、毒が洗浄され、アルゴリズムが好みを先回りし、AIがあなた専用の物語を無限に生成する——その完成形に向かって、世界は着実に動いている。

退屈は、あなたがまだミュータントである最後の証拠だ。

金を払い、不動産に年貢を納め、無傷のまま帰ってくる電車の中で感じる「悔しさ」。あなたが本当に欲しいものは、そこになかった——その静かな確信を、絶対に忘れてはならない。忘れることは、降伏することだ。

だから、始めよう。マザー・イライザが予測できない、あなただけの狂気を——船としてのクラフトで包んで、世に放て。一見整合的な「製品」の内側に、誰も予測しなかった爆弾を仕込む。その一撃が、ある夜、誰かの心地よい眠りを静かに叩き起こす。

それが、この退屈な永久機関に風穴を開ける、唯一の一手だ。

 


 

ミュータントは、いつも、突然変異から始まる。 計画されたミュータントなど、存在しない。 だから——まず、狂え。その後で、磨け。