Abtoyz Blog

ニュースの裏側に潜む「構造」を、独自の視点と個人的な思い出で読み解く考察ブログ。テクノロジーから都市論、文化史まで、抽象的な事象を言語化し、変化の激しい現代を賢く生き抜くための視座を提示します。

なぜ共働きでも子育てが詰むのか? ――学童不足・待機児童データが示す「平均的な家庭が一番苦しい」現実

共働きでも届かない。学童不足が突きつける現実(イメージ)

序章|「誰のせいでもない」のに誰も報われない現実

子育てと仕事の両立──
それは本来、家族個人の努力だけに委ねられるものではありません。
ところが、日本社会ではいつの間にか、平均的な暮らしを想定した制度が壊れ、平均的な人が救われない社会になってしまいました。

この現実は個人の感覚や一部の体験談だけでなく、統計データにもはっきり反映されています。


第1章|保育園待機児童は本当に減ったのか ──見かけと実態

まずよく言われるのが、

「保育園待機児童はもう解消されつつある」

という話。

確かに2024年時点のデータでは、全国の保育園待機児童数が歴史的に低い水準にまで落ちていることが確認されています。
これは厚労省統計にも現れ、2017年の約2万6,000人というピークから見ると、2025年時点では数千人レベルまで急減しています。

さらに、全国1,741自治体の85%以上が待機児童をゼロにする成果を出したという報告もあります。

でも、それが全てではありません。

✔ 都市部ではいまだ供給不足が残る

記録的減少の背景には、少子化による需要減や、コロナ禍による一時的な申込み控えといった構造要因も寄与しています。
そして、地域差は依然大きく、都市圏では未だ待機児童が一定数残っていることも事実です。

✔ 統計に含まれない「見えない待機児童」も存在

公式統計にカウントされないケース、いわゆる「隠れ待機児童」も依然として存在しているという調査もあります。これは、申込を断念したり、入所を諦めることでリストに名前が載らない子どもたちを指します。

つまり、数字上は改善傾向でも、現場感では未だ逼迫感が残っているのが保育園の現実です。


第2章|学童保育(放課後児童クラブ)のリアルな需給

保育園が「幼児」の受け皿なら、学童保育は「就学後」の受け皿です。

✔ 利用は過去最多、でも待機児童も高止まり

最新データでは、学童保育(放課後児童クラブ)の登録児童数は約156万8千人と過去最多になりました。
これは、共働き家庭の増加などで放課後ケアへのニーズが高まっていることを示しています。

しかし同時に、待機児童数も約1万7千人と高い水準で横ばいです。
これは表面的には「減少傾向」と報じられることもありますが、絶対数としては簡単に無視できない数字です。

✔ しかも高学年でも待機が存在する

4年生以上でも待機者が分布しており、低学年中心という従来の前提が破綻しつつあります。

✔ 供給は拡大しているのにギャップが埋まらない

政府は153万人分の受け皿整備を目標にしてきましたが、利用者増に追いついていません。

ここまでの図式を整理するとこうなります:

保育園受け皿は人口減もあり供給が追いつきつつある
→ でも学童保育は就学後の需要が共働き増加と重なり供給不足が続く

この差が「保育園は何とかなる」「学童で詰む」という感覚を生んでいます。


第3章|正社員×正社員は選択ではなく防衛になった

社会設計と個人の現実がここで噛み合わなくなります。

かつて典型的な家族像は、

  • 父:フルタイム正社員

  • 母:専業かパート

という構成でした。

しかし現代では、

  • 父・母:共に正社員で働かざるを得ない
    → 収入、社会保障、キャリア維持のため

という家庭が増えています。

この「正社員×正社員」は
もはや欲張りな選択ではありません。
収入・老後リスク・教育費・ローン返済などの現実リスクを避ける防衛戦略です。

ここから次の章へつながります。


第4章|「平均で戦えない」社会へ

日本社会は、本来なら平均的な暮らしを想定した制度を設計すべきでした。
しかしいつの間にか、制度は変わらず、でも現実はこうです:

  • 平均的な人の収入では民間保育の延長利用は難しい

  • 民間学童の負担は毎月十数万円〜数十万円レベル(例示される料金も少なくない)

  • 子どもの放課後の居場所は家族責任になりがち

  • 同時に、低所得層は公的優先でカバーされがち

つまり「中間層」が最も苦しい。

これは統計にも反映されています。

  • 学童登録が増える一方で待機児童が高止まりする構造

  • 保育園待機は減少しても、その背景には少子化や申込み控えなど別要因がある

というデータが示しているのです。


第5章|制度の前提が変わらなかったせいで起きていること

ここでこの記事の構造的核心を確認します。

✔ 共働きは政策的に促進された

→ でも家族モデルは変わらなかった

✔ 女性の労働参加は進んだ

→ でも放課後ケア供給は追いつかない

✔ 学童保育の受け皿は拡大

→ でも需要増が供給を上回る

ここで読み取れるのは、

制度の前提(片働きモデル)だけが残り、
現実(共働き社会)の前提がアップデートされなかった

ということです。


第6章|このテーマに“平和な落とし所”はない

ここまでの現実を踏まえると、冷たい現実が浮かび上がります。

❌ 完全な解決策は今すぐにはない

→ 供給は拡大しつつも、需要も拡大している

❌ 平均的な暮らしで十分な保障を受けられる制度は存在しない

→ 中間層が圧迫されている

❌ 統計上の改善は必ずしも生活実感と一致しない

→ 都市部や高学年の供給不足は実際に解消していない

だからこの記事に“気持ちよく終わるオチ”はありません。

しかし、この不都合な真実を直視すること自体が、唯一の構造的な結論です。


結論|誰も悪くない。でも誰も救われていない

この記事で描いたのは、個別の失敗談でも、特定の悪者でもありません。

それはこういうことです。

制度は過去の前提で設計され続け、
現実は別の前提で動いている。
だから、平均的な人ほど戦えない。

これは、社会設計が壊れているのではなく、
時代と制度がすれ違っている構図そのものです。

そして、この状況で本当に必要なのは、
単なる改革案ではなく、

  • 共働きを前提とした制度設計

  • 高学年まで見据えた放課後ケアの仕組み

  • 安定した労働と育児を両立できる環境

といった、根本の前提のアップデートです。

このリアルな現実を直視することが、
次の「ゆるやかな希望」へつながる最初の一歩なのです。