
はじめに:
「子どもの安全と居場所は大切だ」
これは誰も否定しない。
では、そのために誰が、どこまで、どんな条件で負担するのか。
高崎市の「小学校7時開門」問題、登校見守り、休み時間対応、プール掃除やワックスがけ――。個別に見れば“子どものため”“学校だから仕方ない”と受け取られがちな事例は、実は一本の線でつながっている。
それは、共働き社会を回すためのコストを、学校と教員に無自覚に押し付けてきた構造だ。
その結果、いま起きているのはこういう現象である。
「教師は尊い仕事だ。でも、自分の子どもには勧められない」
なぜ、かつては善意で勧められた職業が、そうでなくなったのか。
本記事では抽象論を避け、制度・労働・予算の観点から構造的に整理する。
第1章:「朝の小1の壁」は、学校の問題ではない
「共働き家庭が増え、朝に子どもを預ける場所がない」
これは事実だ。
しかし、本来これは労働市場と保育・福祉の問題である。
ところが現実には、その受け皿として学校が選ばれてきた。
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早朝開門
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登校見守り
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校門対応
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トラブル初期対応
これらはすべて、授業とは無関係だが、子どもの安全には不可欠とされる業務である。
問題は、それが
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教員の正式な勤務として整理されないまま
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「学校ならやれるだろう」という前提で
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制度化されてきたこと
にある。
「勤務として認めるなら、予算と人が必要になる」
この当たり前の話が、長年先送りされてきた。
第2章:「善意」で回ってきた学校現場
多くの現場で、次のような構図がある。
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校長・教頭も含め、早朝から校門に立つ
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子どもの表情を見取り、トラブルを防ぐ
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明らかに教育的価値は高い
にもかかわらず、それは
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勤務として明確にカウントされず
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時間外手当も発生せず
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「自主的な取り組み」として扱われる
なぜか。
理由は単純だ。
制度として認めた瞬間、学校は回らなくなるから
もし全てを正規勤務にすれば、
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教員の勤務時間は確実に法定を超え
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人員不足が可視化され
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追加予算が不可避になる
だから、現場の献身に依存するしかなかった。
これは美談ではない。
制度の不備を、個人の責任感で埋めてきただけである。
第3章:なぜ教師の仕事は「際限なく」増えたのか
教師の業務は、いつの間にかこうなっている。
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授業
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成績評価
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保護者対応
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行事運営
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安全管理
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生活指導
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心理的ケア
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施設管理補助
ポイントは、
「やらなくていい仕事」が増えたのではなく、「誰かがやらなければならない仕事」を教師が引き受けてきた
という点だ。
プール掃除、ワックスがけ、休み時間対応――。
本来は外部委託や専任配置で分離可能な業務が、
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予算不足
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人手不足
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事故責任への恐怖
によって、学校内に残され続けてきた。
結果、授業準備の時間は削られ、休憩は消えた。
第4章:データが示す「限界」
最新の各種調査から見えている現実は重い。
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教員の1日あたり労働時間は平均10〜11時間台
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休憩をほぼ取れない教員が過半数
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休日勤務や持ち帰り仕事が常態化
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国際比較でも長時間労働は突出
これは「一部のブラック校」の話ではない。
構造的な平均値である。
つまり、
すでに教員は余力を使い切っている
ということだ。
これ以上「子どものために」を積み増す余地は、ほぼ残っていない。
第5章:「予算が足りない」がすべての核心
結局、この問題はここに行き着く。
学校に金を出してこなかった
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教員数を増やさない
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支援員を常設しない
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外部委託を広げない
その代わりに、
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教師の責任感
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専門職としての使命感
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子どもへの情
に依存してきた。
だが、これは持続可能ではない。
第6章:では、どこから金を持ってくるのか
よく出る案は次の3つだ。
① 国・自治体が負担
正論だが、財政制約が厳しい。
② 企業が一部負担
共働き社会の恩恵を受ける側として合理性はある。
ただし、中小企業には現実的でない。
③ 取れるところから取る
結局は税や社会保険料の話になる。
政治的に難しく、先送りされやすい。
どれを選んでも「痛み」は避けられない。
第7章:フレックス・テレワークは万能か
「親の働き方を変えればいい」
理屈としては正しい。
だが、
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工場
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店舗
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医療・介護
など、時間固定の仕事は多い。
全員に適用できる解決策ではない。
第8章:工場・店舗向けの“苦い現実解”
現実的に考えられるのは、
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朝番専門契約
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時間限定雇用
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シフト細分化
だ。
しかし、ここで必ず壁に当たる。
人が集まらない
理由は単純で、
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賃金が低い
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責任が重い
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不安定
だからだ。
結局、
安い労働力で回そうとする限り、どこかが破綻する
という原則から逃げられない。
第9章:それでも教師になっていいのか
ここまで読めば、
「教師になっちゃダメだな」
という感想が出ても不思議ではない。
実際、いまの制度のままなら、
善意だけで人に勧められる職業ではない。
それは教師の価値が下がったからではない。
社会が、教師に依存しすぎた結果である。
結論:問題は「教師」ではなく「社会設計」
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子どもの安全
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共働き社会
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教育の質
これらを同時に成立させるには、
誰が、どこまで、いくら負担するのか
を正面から決めるしかない。
それを避け続ける限り、
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教師は減り
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現場は疲弊し
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最後に困るのは子ども
という結末は変わらない。
「教師を目指すな」ではない。
教師に、これ以上“無償の社会インフラ”を求めるな
それが、この問題の唯一の現実的な答えである。