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サグラダ・ファミリア vs 横尾忠則:完成をめぐる二つの物語

横尾忠則さんは、サグラダ・ファミリアの完成形を観れるだろうか?(イメージ)

完成をめぐる、二つの壮大な競争

現代美術の巨匠、横尾忠則さんと、未完のまま建築が続くサグラダ・ファミリア。一見、何の共通点もないように見えるこの二つが、実は「完成」というテーマで深く結びついていることに気づいたのが、このブログ記事を書くきっかけでした。

始まりは、たった二つの記事でした。

一つは「サグラダ・ファミリア、完成まであと10年か 階段建設は未承認」という、壮大な建築の終わりが見えてきたというニュース。もう一つは「老化が進行すると“老人”という芸術作品になる? 89歳の横尾忠則が日々を振り返って思うこと」という、横尾忠則さんの言葉を紹介した記事。

この二つの記事を読んだとき、私は直感的にこう感じたのです。「どこかでつながっているように思うんですが、どう結びついているかはわかりません。」

この言葉から始まった思考は、「完成」という概念をめぐる、哲学的な考察へと発展していきました。

 


 

「時間」を素材とする芸術

まず見えてきたのは、両者が「時間」を芸術の素材としているという共通点でした。

一般的な芸術作品は、完成した時点の静止した美しさを追求します。しかし、サグラダ・ファミリアは違います。ガウディが構想した当初から、何世代にもわたる時間の中で少しずつ形を変え、成長していくことを宿命づけられています。140年以上の歳月をかけて、人々が積み重ねた物語が、そのまま作品の価値となっています。

一方、横尾忠則さんも、自身の老化を「老人という芸術作品になる」と表現しました。これは、年齢を重ね、身体が変化し、経験が積み重なること、そのすべてが作品を構成する要素となることを示しています。彼は時間と戦うのではなく、時間とともに歩み、変化そのものを芸術として肯定しているのです。

この時点で、私は「横尾さんはやはり時間芸術品なのだな。サグラダ・ファミリアと同じ」という結論にたどり着きました。違いはあっても、本質的には同じ高みを目指していると感じたのです。

 


 

「完成」を支える原動力

さらに深く考えていくと、両者の「完成」を支える原動力にも、興味深い対比と共通点があることがわかりました。

サグラダ・ファミリアの建設は、寄付や入場料といった資金に大きく左右されます。これは、ガウディという一人の天才の死後も、彼の意志を継ぐ多くの人々の共感と協力がなければ完成しないことを意味します。完成というゴールは、外部からのエネルギーによって推し進められているのです。

一方、横尾忠則さんの創作は、彼の内なる衝動が原動力です。彼は「絵を描くと相続税が心配。絵を描かないと死んでしまうかもしれない」と語るように、その創作活動は彼自身の生命力と直結しています。

しかし、両者には「強い意志」という共通点があります。横尾さんの創作は、彼の内なる衝動が原動力です。彼にとって、絵を描くことはもはや生きる上で欠かせない生理的欲求であり、アイデンティティそのもの。サグラダ・ファミリアの建設もまた、ガウディの死後もその意志が受け継がれているからこそ続いています。原動力は異なれど、どちらも強固な意志に支えられているのです。

 


 

迫りくる「完成」というクライマックス

両者の「時間芸術」には、新たな共通点が浮かび上がってきました。それは、「完成が迫っている」という事実でした。

サグラダ・ファミリアは、ガウディの没後100年にあたる2026年に、イエス・キリストの塔が完成する予定です。そして全体の完成も2034年頃と、具体的なゴールが設定されています。長きにわたる未完の物語が、いよいよ物理的な結末を迎えようとしているのです。

一方、横尾忠則さんも、1936年生まれで、現在89歳です。彼が自身の老化を「芸術作品」と表現しているように、彼という作品は生命の終着点、つまり死をもって完成します。

この二つの存在は、今、それぞれの形で「未完」から「完成」へのクライマックスを迎えています。

 


 

勝敗は、誰が決めるのか?

こうして、私たちは最後に一つの疑問にたどり着きました。

「横尾忠則さんはサグラダ・ファミリアの完成形を観れるだろうか?」

これは単なる予測ではありません。どちらが先に完成するか、という「競争」を暗示しています。

サグラダ・ファミリアは、設計図と物理的な構造物という明確な完成形に向かって進んでいます。一方、横尾忠則さんの「老人という芸術作品」には、明確な完成の定義がありません。彼の作品は、彼という生命の終わりをもって完成するという宿命を背負っています。

この二つの壮大な物語は、それぞれ異なる形で、その結末に近づいています。それは、時間と戦うサグラダ・ファミリアと、時間を受け入れる横尾忠則さん、二つの哲学の対比でもあります。

この競争の結末を、私たちは今、リアルタイムで見守っているのです。