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なぜ趣味は「窮屈」になったのか? SNSとマナー違反が招いた「趣味の階級化」

趣味を「誰でも自由に楽しめる」時代が終わる(イメージ)

近年、特定の趣味をめぐるトラブルが後を絶ちません。「撮り鉄」と呼ばれる鉄道ファンが線路内に立ち入る、民家の庭木を勝手に切るといった行為や、釣り愛好家によるゴミの放置や違法駐車が、社会問題として大きく報じられています。なぜ、ごく一部の愛好家の行動が、ここまで社会から厳しい目を向けられるようになったのでしょうか。

これは、単なる個人のマナーの問題ではありません。趣味の世界が、私たち自身の社会の在り方を映し出す鏡であり、「誰でも自由に楽しめる」時代が終わりを告げたことを示しているのかもしれません。

 


 

趣味に潜む「負の構造」

「マナーが悪い人は昔からいた」という声はもっともです。しかし、今日これほど問題が顕在化した背景には、趣味そのものが持つ「負の構造」と、現代の社会環境が複雑に絡み合っています。

  • 場所取りのトラブルは避けられない構造 鉄道写真も釣りも、最高の成果を得るには、限られた場所とタイミングが重要になります。特別な被写体や大物を求めて、多くの人が同じ場所に集まるため、競争が激化するのは必然です。この競争に勝つため、他の愛好家を排除しようとする心理が働き、結果として無断で他人の土地に侵入したり、時には器物損壊にまで発展したりします。

  • SNSが暴いた「承認欲求」の本性 インターネットがなかった時代、趣味は内輪のコミュニティで静かに楽しむものでした。しかし、誰もが情報を発信できるSNSの登場は、もともと人間に備わっていた承認欲求を「見える化」し、その競争を加速させました。「いいね」やリツイートの数を稼ぎたいという欲求が、危険な場所での撮影や、常識を逸脱した行動を正当化する風潮を生み出しました。

  • 「趣味は自由」という勘違いの終焉 私たちは、公共の場所を「誰でも自由に利用できるもの」だと漠然と考えてきました。しかし、この自由は、他者や環境に配慮するという責任とセットで初めて成り立ちます。一部の愛好家がこの責任を放棄し、自分たちの楽しみを優先した結果、公共の場が荒らされ、社会全体から「危険な趣味」としてレッテルを貼られるようになりました。


 

趣味の「有料化」がもたらすディストピア

マナー問題の多発により、趣味の場所を維持するコストが膨らんでいます。これ以上、企業や自治体がそのコストを一方的に負担することはできません。その結果、趣味の世界は「有料化」という、後戻りのできない流れに入りつつあります。

  • 「商品化」される趣味の場所 多くの釣り場は「立ち入り禁止」となり、その代わりに料金を払って利用する「管理釣り場」が増えました。鉄道会社も、無秩序な撮影を防ぐために、お金を払った人だけが参加できる「有料撮影会」を企画しています。これは、趣味の場所が「お金を払って安心と秩序を買う商品」へと変わったことを意味しています。

  • 趣味の「階級化」がもたらすもの この流れは、趣味の世界に社会の経済格差を持ち込みます。お金を払える人は、安全で快適な環境で趣味を楽しめます。一方、経済的な余裕がない人は、利用できる場所が減り、その居場所を失っていくかもしれません。これは、本当に心の拠り所を必要とする人々が、趣味という最後の居場所からも排除されるという悲しい現実を生み出します。


 

ロックンロールは昨日の夢

趣味の世界が管理・有料化することで、創造性も失われるかもしれません。

かつて、ロックンロールが既存のルールを打ち破る形でストリートから生まれたように、趣味の世界でも、自由で型にはまらない場所から、新しい表現やスタイルが生まれてきました。しかし、SNSで加速した「お付き合い」としての「いいね」回りや、「裏アカウント」を使い分ける文化は、趣味を本音と建前の二重構造に縛りつけました。

そして、すべてが決められたルールと場所の中で行われるようになると、そうした偶発的な出会いや発見はなくなります。趣味は、自己表現の場ではなく、上流階級の「サロン」のように、決められた枠の中で行われる「作業」へと変わり、多様性は失われていくでしょう。

 

おそらく、ただ、こうなる。

「撮り鉄」や「釣り人」の問題は、ごく一部の人間が引き起こした「失敗」ではありません。それは、趣味の世界が、「無秩序な公共の場」から、「秩序あるビジネス」へと必然的に移行する過程を示しているのです。

この流れは止められません。私たちは、この避けられない未来を受け入れ、この新しい時代の中で、いかに趣味と向き合い、他者と共存していくかを考えていく必要があるのです。