
なんでこんなに熱中しちゃうんだろう?
私たちは、なぜこんなにもアイドルの「推し活」に熱中するんでしょう?ただの「好き」や「趣味」だけでは説明できない、もっと奥深い感情の正体って何なんでしょうね?
例えば、アイドルの熱愛報道が出たとき、中には「裏切られた!」と怒るファンもいますが、心から「おめでとう!」と祝福するファンもいます。もしこれが単なる恋愛感情なら、嫉妬や落胆が先に立つはず。この「おめでとう」の裏側には、別の、もっと根源的な感情が隠されているのかもしれません。
もしかしたら、アイドルの「推し活」は、巷で言われる「疑似恋愛」とは少し違う「疑似子育て」に近い感覚がそこにあるのではないでしょうか。
なぜ、見ず知らずのアイドルを「育てる」のか?
私たちは今、「食うに困らない」豊かな時代に生きています。でも、心のどこかにポッカリと穴が空いているような、漠然とした「なんか寂しいな」という感覚を抱えている人が少なくありません。それは、以下のような心の声が満たされないからかもしれません。
-
「私、どこにいるんだろう?」と感じる居場所のなさ。
-
「誰かに必要とされてるかな?」と不安になる承認欲求。
-
「何のために生きてるんだろう?」と虚しくなる目的の喪失。
-
「誰にも分かってもらえない」と感じる孤独感。(2024年の調査では、世界中で約4人に1人が日常的に孤独を感じているという報告もあります。)
この満たされない心の穴を埋めるために、私たちは無意識のうちに「救い」を探しています。その受け皿の一つになっているのが、アイドルへの「推し活」なのかもしれません。
「疑似子育て」が心の隙間を埋める理由
アイドルに「子育て」のような感情を抱き、惜しみなく時間やお金を注ぎ込むのは、彼らが私たちにいくつかの「救い」を与えてくれるからだと考えられます。
-
「役割」と「貢献」の実感: 実生活で「誰かの役に立っている」と感じる機会が減ったとき、アイドルを「推す」ことで、彼らの成長や成功に自分が貢献しているという明確な「役割」や「目的」を得られます。これは、まるで自分の子どもを育て、その成長に喜びを感じる親の気持ちに似ているのではないでしょうか。
-
承認と自己肯定感: 推しが輝くことで、まるで自分の子が褒められたように誇らしく、その「親」として自分自身の存在価値も肯定される感覚を得られることがあります。ファンコミュニティの中での活動を通じて、「私には居場所がある」「仲間がいる」という安心感も生まれるでしょう。
-
完璧な「成長」を見守る喜び: アイドルは、プロとして常に魅力的で、理想的な姿を見せてくれます。現実の子育てが伴う苦労や不確実性なしに、理想の成長を追体験できる喜びがそこにはあるのかもしれません。
「気持ち悪い」の正体と、それでも「埋め合わせる」人生
でも、この「疑似子育て」の感情が、時には「気持ち悪い」と感じられることがあります。それはなぜでしょう?
その「気持ち悪さ」の根源は、本来、無償の愛であるはずの「子育て」の感情が、CD購入やグッズ、投票といった金銭的な消費行動に直結している点にあるのかもしれません。また、一方的な関係性であるにも関わらず、まるで現実の親子のような絆を感じてしまう「現実との乖離」も、違和感を生む大きな要因となっている可能性があります。
あなたはどこかで、この関係性が「一時的な充足と引き換えに、時間やお金という「代償」を払っている」ことに気づいているかもしれません。そして、時にそれが過度な依存となり、現実の人間関係や自己成長の機会を奪うことさえあるでしょう。
それでも、多くのファンは、この「気持ち悪さ」をどこかで認識しつつも、それを「我慢しろ」とか「細かいことはいいんだよ」と自分に言い聞かせ、「そういうものなのだ」と受け入れていきます。
それは、「寂しさを完全にクリアする」ことが「この世にはない」と、無意識のうちに知っているからかもしれません。人生は長く、その終わりのない寂しさを抱えたまま生きていくには、心の穴を何かで「埋め合わせなければ生きていけない」。多少の「気持ち悪さ」を許容するのも、この現代社会を生き抜くための、ある種の知恵であり、現実的な適応策なのかもしれませんね。
矛盾を抱えながら、「老練なオタク」になる
歳を重ねる中で、やがてあなたは「老練なオタク」となるのかもしれません。その時、これまでの熱狂も、「気持ち悪い」と感じた違和感も、全てひっくるめて、「人生って、そういうもんだよね」と、「辻褄が合う」感覚を得るのではないでしょうか。
完璧な「救い」は、この世にはない。寂しさは、人間である限り消えない。それでも私たちは、その中で自分なりの「救い」を探し、不完全な自分と、矛盾を抱えた世界を「そういうものなのだ」と受け入れて生きていく。
「良い」とも言えない。しかし、「悪」でもない。
アイドルの「推し活」は、まさに現代人が抱える複雑な心のあり方と、この社会のひずみを映し出す鏡なのかもしれません。そして、その中で懸命に生きる「老練なオタク」たちの姿は、私たち自身の姿でもあるのではないでしょうか。