
「ビートたけしらの年収に『おしっこ止まりました』」――ザ・ぼんちが漫才ブーム当時を振り返ったこの衝撃的なエピソードは、華やかな芸能界の頂点を垣間見せる一方で、「売れるってすごいな」という素朴な驚きを私たちに与えます。しかし、「お笑い」が持つ力は、単なる収入や名声だけではありません。その深層には、社会や文化、そして私たちの日常におけるコミュニケーションの秘密が隠されています。
今回は、漫才ブームを起点に、なぜ関西がお笑いの聖地なのか、「あるある」が持つ不思議な力、そして変化する時代とお笑いの未来について、深く掘り下げていきましょう。
1. 「お笑いのルーツ」:なぜ関西が聖地なのか?
漫才ブームを牽引したのは、ザ・ぼんち、横山やすし・西川きよし、ダウンタウンなど、圧倒的に関西出身の芸人たちでした。なぜ、これほどまでに「笑い」が関西、特に大阪に根付いているのでしょうか?
その背景には、吉本興業の類まれなる経営手腕があります。明治時代から寄席経営を始めた吉本興業は、単なる小屋主にとどまりませんでした。
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多店舗展開と芸人の囲い込み: 多くの寄席が単店経営だった時代に、吉本は次々と寄席を買収・新設し、チェーン化を推進。さらに、才能ある芸人を専属契約で囲い込み、安定した出演機会と生活を保証しました。
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新メディアへの早期参入: ラジオやテレビが登場した際、「無料で芸を見せたら客が来なくなる」という懸念をよそに、吉本は積極的に芸人を送り込みました。あの明石家さんまさんも、ブレイクのきっかけはテレビ番組への積極的な出演でした。
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「万歳(漫才)」の育成: 当時、新しい芸能だった漫才の可能性にいち早く着目し、これを大衆娯楽の主軸に育て上げた功績は計り知れません。
吉本興業の創業者が発揮した「圧倒的に目先が利いた」経営手腕は、まさに先見の明そのものです。彼らは単なる寄席の経営者ではなく、エンターテイメント全体をプロデュースする「興行会社」へとビジネスモデルを進化させました。
そして、吉本興業が育てたのはビジネスだけではありません。関西には、日常会話に「ボケ」と「ツッコミ」が溶け込む独特の文化が根付いています。これは、単にプロの芸人だけでなく、一般の人々もユーモアを積極的に取り入れ、会話を面白くしようとする気質があるということです。さらに、関西弁の独特のイントネーション、リズム、語尾のバリエーションは、漫才のテンポやツッコミの切れ味を増幅させる上で非常に有利に働きました。「なんでやねん!」という一言が持つ破壊力は、標準語ではなかなか出せません。吉本興業のシステムと、地域に根付いた文化、そして言葉の特性が相まって、「関西お笑い文化」という唯一無二の存在を築き上げたのです。
2. 「お笑いの力」:変容するモードと「タブー」
お笑いの世界には、時代と共に変化する「モード(流行やスタイル)」が存在します。漫才ブーム期の勢いあるしゃべくり漫才から、ダウンタウンが『夢で逢えたら』や『ごっつええ感じ』などで切り開いたシュールで毒のある笑い、そしてM-1グランプリ以降の緻密な構成や、SNS時代のニッチな笑いまで、その潮流は常に移り変わってきました。
お笑いは、ただ人を笑わせるだけでなく、社会の空気を映し出し、人々の感情に深く作用する「力」を持っています。それは、共感を生み、ストレスを解放し、時には社会の矛盾を風刺する力です。辛いことを笑いに変える「ブルース」のような側面もあれば、ポップミュージックのように純粋な楽しさや高揚感をもたらすこともあります。
そして、お笑いが持つ力の核心には、「タブーを破る」という側面があります。社会が「触れてはいけない」と定める領域にあえて踏み込み、既成概念をズラすことで、私たちは解放感や爽快感を感じ、深く笑うことができます。権力や常識を笑い飛ばすことで、お笑いは間接的な社会批評の役割も果たしてきました。
しかし、現代社会では、多様性や人権意識の高まり、SNSによる即座の批判などにより、「タブー」の境界線が大きく変化しています。かつては許容された表現が、今では「差別」や「ハラスメント」として問題視されるようになりました。特定の芸人をめぐる報道に見られるように、この「モード」の変化と、これまでのお笑いのスタイルとの間の摩擦が顕在化しています。
直接的な「タブー破り」が難しくなったことは、一部で「笑いの危機」と捉える声もあります。しかし、これはむしろ、お笑いがより高度で洗練された方向へと「進化」している過程と見ることもできます。芸人たちは、単純な悪口やいじりではない、言葉の妙や構成の面白さ、人間観察の深さなど、より本質的な笑いの技術を磨く必要に迫られています。そして、テレビでは表現できない笑いが、YouTubeやライブといった新しいプラットフォームで花開き、お笑いの多様性を広げています。
3. お笑いの本質「あるある」の可能性
お笑いの根源的な魅力の一つに「あるある」があります。
「冷蔵庫を開けたけど何もなくて、すぐにまた開ける」「スマホをいじっていて、いつの間にか目的を忘れている」――こうした日常の些細な出来事が、多くの人の共感を呼び、笑いにつながるのが「あるある」です。
「あるある」は、単に面白いだけでなく、「笑いの本質」でもあります。
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強烈な共感: 「それ、自分だけじゃなかったんだ!」という共感は、私たちに安心感を与え、孤独感を解消します。
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発見の驚き: 日常の中に隠れていた、誰もが経験する普遍的なパターンを言語化されることで、新鮮な驚きが生まれます。
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人間性の肯定: 時に滑稽に見える私たちの行動を笑い飛ばすことで、人間としての不完全さや愛すべき一面を肯定できます。
そして、この「あるある」の力は、お笑いの枠を超えて、あらゆる場面で活用できる強力なコミュニケーションツールとなります。
若者が初対面の人と「好きなジブリ作品」の話を始めるのは、まさにこの「あるある」を狙った戦略的コミュニケーションです。ジブリは多くの人が見ており、安心して共感を呼び起こせる「あるあるの宝庫」。そこから相手の価値観を間接的に探り、会話の糸口を見つけるという、非常に洗練された方法なのです。この意図を知ると少々計算高いと感じるかもしれませんが、それは多くの場合、相手との距離を縮めたいというポジティブな気持ちの表れです。
「あるある」を生み出すには、日常生活を深く観察し、パターンを見つけ出し、それを的確に言語化する「観察力」「分析力」「表現力」が求められます。これは、まさに会話力そのものと言えるでしょう。「あるある」は、私たちのコミュニケーションを円滑にし、人間関係を豊かにする強力な武器なのです。
4. 「お笑い力」の獲得と未来
お笑いは、単なる「センス」や「才能」だけで成り立っているわけではありません。NSCのような専門学校が存在するように、お笑いには体系的な技術や構造があり、それは教育によって習得可能です。つまり、「あるある」を生み出す力を含め、「お笑い力」は磨くことができるスキルなのです。
では、どうすればその「お笑い力」を身につけられるのか?
大阪に引っ越して、お笑いに満ちた環境に身を置くのは確かに強力な方法です。日常のボケ・ツッコミ、生の舞台の空気感など、圧倒的なインプット量と実践の機会が得られます。しかし、必須ではありません。重要なのは、意識的な「観察」と「実践」です。
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プロの徹底観察: テレビや配信(YouTubeチャンネル「しもふりチューブ」など)でプロの芸人のネタやフリートークを分析し、「なぜ面白いのか?」を深掘りする。
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日常の「あるある」探し: 自分の身の回りで起こる小さな出来事や感情のパターンに常にアンテナを張り、「これって、あるあるじゃない?」(例:リモート会議中に背景に家族が映り込む「あるある」)という視点を持つ。
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アウトプットとフィードバック: 見つけた「あるある」や面白いと思ったことを、実際に友人や家族に話してみる。スベることを恐れず、相手の反応から学び、表現を調整する。(「あ、今のスベったわ~、ごめんごめん!」と自己ツッコミを入れるのも手です。)
吉本興業は、お笑い業界のトップランナーとして、今もなお強大な存在です。数千人の芸人、全国の劇場、メディアへの影響力、そして映画製作やデジタルコンテンツ事業(例:吉本興業ホールディングスとNTTの合弁会社「FANY X」による事業)など多角化する事業は、その「盤石さ」の基盤となっています。直近の2024年3月期決算においても、売上高は過去最高を更新しており、事業規模は拡大傾向にあります。
しかし、コンプライアンス問題、タレントとの関係性、そして「新しいお笑いのモード」への対応といった課題も抱えており、現状維持ではいられません。巨大な組織として、社会の変化にどう対応し、進化していくかが問われています。
お笑いの未来のモードは、ますます「個の時代」を反映し、パーソナルな共感やニッチな笑いが深まるでしょう。また、AIやVRといったテクノロジーとの融合により、インタラクティブで没入感のある新たな笑いの体験が生まれる可能性も秘めています。さらに、グローバル化が進む中で、言葉の壁を越える普遍的な笑いや、多様な文化理解に基づいたユーモアが求められるようになるでしょう。
お笑いは、常に社会を映し出す鏡であり、変化の波を乗り越えながら、その「モード」を進化させてきました。それは、私たちに笑いとカタルシスを与え、時には思考を促し、そして人間関係を豊かにする、計り知れない「力」を持ち続けています。