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今田耕司から読み解く!「幸せの定義」は変わった?結婚・独身・自己決定の今

「自己決定」こそが幸福の本質であるのか?(イメージ)

お笑い芸人、今田耕司さんの「結婚できなかった理由」が先日、大きな話題を呼びました。彼が語ったとされる「仕事の優先とタイミングの逸失」「あの時の後悔」といった言葉は、多くの人の胸に響き、私たち自身の人生や幸せについて深く考えさせるきっかけを与えてくれたのではないでしょうか。

この何気ない芸能ニュースから始まった問いは、やがて「幸せの定義」という壮大なテーマへと展開していきます。

 


 

「結婚=おめでとう」は普遍か?

かつて、結婚は多くの人にとって揺るぎない「おめでたいこと」でした。それは、種の保存、家族の形成、愛の誓い、社会の安定といった、人類共通の根源的な価値と結びついていたからです。世界中のほとんどの文化で、結婚が祝福されるのは、こうした普遍的な理由があるからでしょう。

しかし、今田さんの話から見えてきたのは、単に結婚しなかったという事実だけでなく、「不本意な結果」「人生を自己決定できなかった」といった、どこか「敗者」にも通じるような複雑な感情です。これは一体なぜなのでしょうか?

 


 

「自己決定=おめでとう」という新しい価値観

ここ数十年で、私たちの社会は劇的に変化しました。特に欧米からの影響を受け、「自己決定」こそが幸福の本質であるという価値観が強く浸透してきたのです。

経済的な自立、インターネット社会による多様な価値観との出会い、そして個人の尊重を掲げる思想が、「人生は、自分で選び取るものだ」という認識を強めました。

もはや、社会が定めた「こうあるべき」というレールに乗ることだけが「おめでとう」の対象ではありません。独身を選ぶ人、特定のキャリアを追求する人、型にはまらない家族の形を築く人。それら全てが、本人の意思に基づいている限り「おめでとう」と祝福されるべきだという感覚が広がっています。

まさに、人生を自己決定できた人が「勝者」と感じられる時代なのです。

 


 

「普通」の崩壊と「不甲斐なさ」の残像

しかし、私たちの社会は、まだその移行期の真っ只中にいます。

「結婚=おめでとう」という従来の普遍的な価値観と、「自己決定=おめでとう」という新しい価値観が混在し、ときに摩擦を生じさせているのです。

その象徴が、「不本意な結果」「自己決定できなかった」という感情です。バブル崩壊後の経済状況が結婚を難しくした側面は否めません。「結婚したくてもできなかった」という状況は、個人の意思だけではどうにもならない外的な要因によって、理想の人生を自己決定できなかった感覚を残します。

また、子供が極端に多い家庭や、何度も結婚・離婚を繰り返す人に対して、私たちは驚きを隠せません。本来、生命の繁栄や新たな関係性の構築はポジティブなはずです。それでも驚いてしまうのは、それが「多数派」ではないというだけでなく、「適正な範囲」や「安定」という社会が持つ潜在的な規範から大きく逸脱しているように感じるからです。たとえそれが本人の自己決定であったとしても、社会の根底にある「安定」や「リスク回避」の感覚と異なるため、素直に「おめでとう」とだけ受け止められない複雑な感情が生まれるのです。

 


 

「足りるを知る」〜 東洋の知恵が示す未来の幸せ

では、私たちはどこに向かうのでしょうか?

欧米では、「自己決定」のその先に、「心の豊かさ」「精神的充実」を求める新たな価値観が生まれています。常に何かを追い求め、物質的に満たされても満たされない感覚から、「チル(のんびりする)」「ウェルビーイング(心身ともに満たされた状態)」「ミニマリズム(最小限で豊かに暮らす)」といった価値観が台頭しているのです。

これは、日本の古くからの思想である「足るを知る」という言葉に驚くほど通じます。 「足りていれば死なない」という根源的な安心感。そして、必要以上のものを求めず、現状に満足する心のあり方。これは、過剰な消費社会で疲弊した現代人が、ようやくたどり着いた境地なのかもしれません。

 


 

加速する「過渡期」をどう生きるか

現代社会は、この数十年で劇的に変化し、これからもAIやバイオテクノロジーの進化、地球規模の課題によって、変化のペースはさらに加速するでしょう。これにより、世代間のギャップはますます広がり、私たちの「常識」は絶えず揺さぶられます。

しかし、この「過渡期」は、同時に自分にとっての「幸せ」を深く問い直し、自分で定義するチャンスでもあります。

結婚や家族の形も、今や多様な選択肢があります。法律婚にとらわれず、事実婚や同性パートナーシップを選ぶ人々。血縁を超えて友人や同志と「新しい家族」のようなコミュニティを築く人々。それぞれの生き方が、個人の「自己決定」に基づいていれば、それは十分に祝福されるべきものです。

たとえ、過去に「不本意な結果」を経験したり、現状に「不甲斐なさ」を感じたりしても、それは「次の一歩」への貴重な学びとなりえます。後悔の感情は、自分が本当に何を求めているのか、何が大切だったのかを教えてくれる羅針盤なのです。

「結婚=おめでとう」という普遍的な祝福と、「自己決定=おめでとう」という新しい祝福の間で揺れ動きながらも、私たちは自分自身に問い続けることができます。

あなたにとっての「幸せ」とは何か?

そして、その幸せを自己決定するために、今日から何を選択し、どのように自分らしい未来を創造していきますか?