第1章:燃え上がる確執の炎――なぜ二人は「憎み合った」のか?
1980年代。アーノルド・シュワルツェネッガーは『ターミネーター』や『プレデター』で、シルヴェスター・スタローンは『ロッキー』や『ランボー』で、それぞれがアクション映画のトップに君臨していました。この時代、二人の間には尋常ならざるライバル意識が燃え盛っていました。
彼らは互いを「ジャンルのパイオニア」と見なし、常に相手を上回ろうと競い合いました。シュワルツェネッガーが大きな銃を持てば、スタローンはもっと多くの敵を倒す、といった具合に、作品内容やスケールで激しく争ったのです。シュワルツェネッガーのキャラクターが超人的なヒーロー像だったのに対し、スタローンは内なる葛藤を抱えながらも不屈の精神で立ち向かう、人間臭いヒーロー像でした。この根本的に異なる「ヒーロー像」と「映画のスタイル」の対立が、互いの存在を脅かすものとして映った可能性があります。
当時のメディアは、「どちらが最強のアクションスターか?」という単純な構図を好んで取り上げ、二人の対立を煽り立てました。個人の発信ツールがない時代、メディアを通して伝えられる情報は、彼らの確執をさらに深める材料となったのです。また、作品の興行収入がスターの価値を測る明確な指標だった当時、彼らの作品の成績は常に比較されました。自身のキャリアや経済的な成功がかかっていたため、互いへのプレッシャーや焦りが募り、それが個人的な確執へと発展していったのです。
しかし、この確執をさらに個人的で、感情的なものへと深めたのが、一人の女性の存在でした。
第2章:ブリジット・ニールセンが火に油を注いだか?
デンマーク出身の女優、ブリジット・ニールセンは、この二人の巨人の間に横たわる確執に、より複雑な感情の側面をもたらしました。
彼女は、1985年にシュワルツェネッガー主演の映画『レッドソニア』でヒロインとして共演しました。その後、同年にはシルヴェスター・スタローンと結婚し、彼の主演作『ロッキー4』や『コブラ』にも出演しましたが、結婚生活は短期間で終わりを告げ、1987年には離婚しています。
そして後年、シュワルツェネッガーが自身の自伝で、ブリジットと『レッドソニア』の撮影中に不倫関係にあったことを告白。ブリジット自身もその関係を認めています。この事実は、スタローンにとって、自身の元妻が、長年の最大のライバルと関係を持っていたという、個人的なプライドと裏切りを深く感じる出来事であったことは想像に難くありません。単なるビジネス上の競争だけでなく、個人的な感情が絡む要素が加わることで、二人の確執はより根深く、乗り越えがたいものとなっていったのです。ブリジット・ニールセンの存在は、二人の関係において「決定的」とも言えるほど、感情的なしこりを残したと考えられます。
第3章:プラネット・ハリウッド――共通の舞台が和解への扉を開く
しかし、長年にわたる憎しみは、やがて変化の時を迎えます。その大きな転換点の一つとなったのが、1991年に設立されたレストランチェーン「プラネット・ハリウッド」でした。
プラネット・ハリウッドは、ハリウッド映画をテーマにしたレストランで、シュワルツェネッガー、スタローン、そしてブルース・ウィリスといった当時のトップスターたちが共同で出資し、顔役を務めたのです。この共通のビジネスは、長年の宿敵であった二人に、ビジネスパートナーとして顔を合わせ、協力せざるを得ない状況を作り出しました。
プラネット・ハリウッドのプロモーションのため、彼らは共にイベントや記者会見に登場する機会が増えました。これは、かつては考えられなかった光景であり、彼ら自身の関係性だけでなく、世間の二人への見方にも変化をもたらしました。共同経営という立場は、彼らに個人的な会話の機会を与え、互いの人間性やプロとしての尊敬を再認識するきっかけとなりました。プラネット・ハリウッドは、経営的には必ずしも成功したとは言えず、後にスターたちは手を引きましたが、この経験が二人の関係に与えた影響は計り知れません。互いを「憎み合うライバル」から「尊敬すべき友人」へと認識を改める大きな一歩となったのです。
第4章:レジェンドたちの円熟――「お爺さん」になったからこそ
プラネット・ハリウッドでの歩み寄りを経て、彼らの関係性はさらに深まります。その背景には、年齢を重ねたことによる変化が大きく影響しています。
若い頃のような「誰が一番強いか」という熾烈な競争は、もはや過去のものとなりました。互いに不動の地位を築き、次の世代のアクションスターが台頭してきた中で、彼らは「終わりなき競争」から解放され、互いの存在を認め合う達観した境地に至ったのです。
彼らは、ハリウッドのアクション映画黄金期を文字通り「共に」築き上げてきた「最後の生き残り」です。同じ道を歩み、成功と苦難を経験してきた彼らには、深い「仲間意識」や「戦友としての絆」が自然と芽生えました。若い頃の彼らは、自身の肉体やスクリーン上の存在感に対する強い「こだわり」を持っていました。しかし、年を重ね、その「有り余るエネルギー」が自然に減少していく中で、無益な争いにエネルギーを費やすことの「めんどくささ」に気づいたのでしょう。そのエネルギーは、家族や自身のレガシーを次世代に繋ぐことなど、より建設的な方向へと向けられるようになりました。
このような変化を経て、彼らは『エクスペンダブルズ』シリーズでの共演や、互いの作品へのカメオ出演など、友情を公に深めていくことになります。これは、単に彼らが「お爺さん」になったから、というだけでなく、キャリアの円熟、人間的な成熟、そして過去の「こだわり」からの解放がもたらした必然的な結果と言えるでしょう。
第5章:私生活と人格の変遷――光と影、そして成熟
彼らのキャリアを語る上で、私生活、特に女性関係はたびたび話題に上ります。若い頃のハリウッドスターとしては、派手な交際や浮名を流すことは珍しくありませんでした。
シュワルツェネッガー:過去のセクハラ問題と謝罪
シュワルツェネッガーについては、特にカリフォルニア州知事選出馬時に、過去のセクハラ問題が大きく報じられました。複数の女性から、不適切な身体接触や性的な言動があったとの告発が相次ぎ、最終的に彼自身が「私がこれまで行ってきたことについて、もし誰かを侮辱したのであれば、心から謝罪したい」と、一部の行為を認めて謝罪しました。知事退任後には、長年連れ添った妻マリア・シュライバーとの結婚中に、家政婦との間に隠し子がいたことも発覚し、離婚に至っています。これらの出来事は、彼の女性関係の奔放さと、公人としてのイメージへの影響を示唆しています。しかし、彼は自伝で過去の過ちを認め、近年では、#MeToo運動などの影響もあり、自身の行動から学んだと語っています。
スタローン:波乱万丈な遍歴と家族への回帰
一方、スタローンも複数の結婚と離婚を経験しており、ブリジット・ニールセンとの短期間の結婚もその一つです。過去の女性遍歴が皆無ではなかったものの、シュワルツェネッガーのような大規模なセクハラ問題が公に報じられることは、相対的に少なかったと言えるでしょう。現在の妻ジェニファー・フレイヴィンとは長年連れ添い、3人の娘たちとの絆も非常に強いことで知られています。年齢を重ねてからは、家族を何よりも大切にする姿勢を見せており、その不屈の精神に加え、家庭を顧みる「人格者」としての側面が強く認識されるようになりました。
両者ともに過去には奔放な時期があったものの、年齢と経験、そして世間の目が変わる中で、私生活においてもより「大人しくなった」と言えるのではないでしょうか。
第6章:アクション映画史への遺産と変化するヒーロー像
彼らの関係は、単なる個人的なドラマに留まりません。ハリウッドのアクション映画史、ひいては映画界全体に大きな影響を与え続けています。
彼らの激しい競争は、アクション映画の規模を拡大し、より壮大で派手なスペクタクルへと進化させる原動力となりました。また、彼らが提示した異なるヒーロー像は、ジャンルに多様性と奥行きを与えました。年齢を重ねた彼らが、ただ引退するのではなく、『エクスペンダブルズ』で共演したり、『クリード』でドラマ性の高い演技を見せたりする姿は、アクションスターがどのようにキャリアを重ね、「レジェンド」として新たな価値を創造していくかの模範を示しています。彼らは、単なる肉体派スターから脱却し、俳優としての幅を広げようとしています。
彼らは、特定の俳優が映画の興行を左右する「スターパワー」全盛期を象徴する存在です。プラネット・ハリウッドのような事業への参画は、俳優業を超えて自身の名を冠したブランドを築き、多様なビジネスを展開する新たな道も切り開きました。
終わりに
アーノルド・シュワルツェネッガーとシルヴェスター・スタローン。彼らの関係は、単なるライバル関係を超え、友情、そしてハリウッドの歴史そのものを物語る壮大な叙事詩です。かつては互いを憎み合った二人ですが、時を経て、互いを高め合う「戦友」として、そして「レジェンド」として、その輝きを放ち続けています。
彼らの物語は、私たちに「競争が人間を成長させること」「時が経てば和解できること」、そして「真の友情は困難を乗り越えて生まれること」を教えてくれるのではないでしょうか。