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松本隆、秋元康、ボブ・ディランから学ぶ、心に響く歌詞を生み出す「言葉の魔法」

聴き手の心の奥底にどう響かせ、共感を呼ぶか(イメージ)

「詞は最初の2行が最も重要」――音楽プロデューサーとしても名高い作詞家・売野雅勇さんのこの言葉は、多くのクリエイターの心に響いたことでしょう。私たちの心を揺さぶり、時に人生の道標となるような「言葉の魔法」は、一体どのようにして生まれるのでしょうか?

今回は、日本そして世界の音楽史に燦然と輝く偉大な作詞家たちの言葉を深掘りし、彼らが実践してきた作詞の秘訣や哲学、そして創作の源泉に迫ります。彼らの紡いだ言葉の数々は、あなたの創作活動に計り知れないインスピレーションをもたらすはずです。

 


1. 心の奥底に響く「普遍」の探求

偉大な作詞家たちが共通して語るのは、単なる個人的な感情の吐露に留まらず、聴き手の心の奥底にどう響かせ、共感を呼ぶかという点です。彼らは、個人の体験や感情を、多くの人が「これ、私のことだ!」と感じるような普遍的なテーマへと昇華させる「心の錬金術」の使い手です。

松本隆氏は、その作詞哲学の核心をこう語ります。「テクニックや定型句は、ぼくからいちばん遠いところにあります。でも、ぼく自身、どういう表現をすれば人の心が動くのかについて考えたことはあって、それは、潜在意識に届く言葉なんですね。」彼は、さらにその言葉を生み出すプロセスについて、「つくる側も潜在意識を使う。つまり、頭で考えるものでも、頭でつくるものでもなくて、どれだけ自分を空白に、無にしておけるか、なのです。真っさらな状態がベスト」と、理性的な思考を超えた境地を説きます。難解な言葉を避けつつも、「その時代の人たちが見失っているもの、今足りないものを書きたい」という彼の言葉は、日常の些細な「ひび割れ」の中にこそ、普遍的な真実が宿るという彼の深い洞察を示しています。

「イエスタデイ」のメロディを夢で得たというポール・マッカートニーは、「メロディーがすべてを語ってくれた」と、メロディが言葉を導き出す例として語り継がれています。一方、ジョン・レノンはより内省的で、「僕は自分の感情をダイレクトに歌詞にぶつける。ごまかしたり、飾ったりはしない。それが僕の真実だから」と、飾らない自己表現の重要性を強調しました。

カナダの至宝、レナード・コーエンは、その詩的な歌詞の背景にある執念をこう明かします。「私は何百もの詩を書き、それを何百回も書き直す。完璧にフィットし、流れるようになるまで書き続ける。」彼の代表曲「ハレルヤ」が何年もかけて、80以上のヴァースが書かれたという逸話は、言葉を研ぎ澄ます彼の飽くなき探求心を示しています。そして、「静寂は重要だ。創造的なアイデアが生まれるためのスペースをくれる」という言葉は、内省と熟考の時間を重視する彼の姿勢を物語っています。

聴き手の心に響く歌詞は、単なる美辞麗句の羅列ではありません。それは、作詞家自身の内面と深く向き合い、普遍的な感情の核心を捉えようとする真摯な試みの結果なのです。

 


2. 言葉と音の「融合」が生み出す化学反応

歌詞が先?メロディが先?(イメージ)

作詞は、言葉をただ並べるだけではありません。音楽というメロディやリズムに乗せて初めて、その真価を発揮します。偉大な作詞家たちは、言葉と音が織りなす「有機的な融合」を通じて、聴き手の感情を揺さぶる化学反応を生み出しています。

詞は最初の2行が最も重要」と語る売野雅勇氏は、その言葉の説得力を高めるために、「タイトルと最初の2行に命を懸けて、名詞を大切にする」と具体的な方法を明かします。名詞が持つ具体的なイメージ喚起力は、瞬時に楽曲の世界観を構築する上で不可欠なのです。

シンガーソングライターに共通するこの感覚は、Official髭男dismの藤原聡氏の言葉に集約されます。「歌詞が先、メロディが先、どちらもありますね。『こういうことを歌いたい』と思った結果、メロディを変えることもありますし、こっちのメロディにしたいから歌詞を変えるということもあります。言葉が新しいメロディを教えてくれるときもあるし、メロディが新しい言葉を教えてくれるときもある。作詞・作曲は同じものというか。」これは、詞と曲が互いに影響し合い、高め合うことで楽曲が生まれるという、シンガーソングライターならではの深い理解を示しています。

また、歌詞とメロディの間にあえて「ギャップ」や「コントラスト」を生み出すことで、より深い感情表現を追求する作詞家もいます。Vaundy氏は、「悲しいメロディーのところに明るい(歌詞)を入れると、その天邪鬼(あまのじゃく)が聴こえてくる」と語り、言葉単体では伝わりにくい複雑な感情を、音楽に乗せることで「何か分かる」という感覚的な理解を重視しています。back numberの清水依与吏氏も、「歌詞は、演奏の逆をいきたいっていうか、こんな楽しい跳ねたリズムとかで楽しいこと歌ったらもうアウトでしょっていうか、嫌なんですよね」と、安易な調和を避け、楽曲に深みを与えることを意識しています。

RADWIMPSの野田洋次郎氏は、言葉と音の響きの調和を極めて重視しています。「この音に無理のない言葉って絶対に存在するんです。言葉自体が持っている音がそもそもあるから、音に引っ張られて、文章にしていくっていう感じでもありますね。」彼の言葉は、歌詞が持つ「音」を捉え、メロディとの自然な融合を追求することで、聴き手に違和感なく届く心地よい響きが生まれることを示唆しています。

彼らの言葉からは、作詞が単なる文章作成ではなく、音楽という多次元的な表現の一部として、言葉が持つ響き、リズム、そして感情との相乗効果を最大限に引き出す、まさに「音と言葉の調律師」としての側面が浮かび上がってきます。

 


3. 「日常」を耕し、「日記」に言葉の種を蒔く

毎日一行でも日記を書くこと(イメージ)

多くの作詞家が、特別な場所や劇的な出来事ではなく、ごく「日常」の中にこそ、作詞のヒントが隠されていると語ります。そして、その日常の気づきを捉える手段として、「日記」やそれに類する日々の記録が挙げられます。彼らにとって日常は、言葉の種を育む「畑」のような役割を果たしています。

松本隆氏が「日常のひび割れがいちばん大事だ」と語るように、見過ごされがちな些細な感情の機微、人々の心の奥底にある揺らぎこそが、普遍的な共感を生む源になります。彼は難解な言葉を使わず、日常の風景に潜む本質を描写することで、聴き手の心に深く刻み込まれる歌詞を生み出してきました。

総合プロデューサーとしても活躍する秋元康氏は、その膨大な作詞量の秘訣の一つとして、「毎日一行でも日記を書くことで、書くことがない日でも何か書くために行動するようになり、それがアイデアの源泉となる」と明かしています。また、「頭の中のリュックサック」という表現は、日々の出来事や感情の断片を意識的に蓄積し、必要に応じてそこから引き出す彼のスタイルを象徴しています。これは、阿久悠氏が「日記力が、作詞を支える原動力となっていた」とされていたことにも通じます。日々の観察と記録が、時代や社会の空気を捉えるための彼の鋭い洞察力を支えていたのです。

「僕は、あるがままのものを歌う。人が何かを考えたり、自分を批判したりする理由を与えたりはしない」と語るボブ・ディランもまた、「インスピレーションはどこからでも来る。シャワーを浴びている時も、散歩している時も、友達と話している時も。大切なのは、それを捕まえることだ」と、日々の何気ない瞬間に訪れるひらめきを逃さず捉える瞬発力の重要性を説いています。これは、日記をつける行為にも繋がる、日常への細やかな意識と、言葉を記録する習慣の重要性を示しています。

「私は自分の体験から書くことが多い」と語るキャロル・キング氏や、「誰にでも起こりうる日常の出来事や感情を歌いたい」と語るエド・シーラン氏の言葉も、個人的な「日常」が、普遍的な共感を引き出す上でいかに重要であるかを物語っています。彼らの歌詞は、派手さはないけれど、私たちの心にすっと入ってくる日常的な描写が特徴です。

このように、作詞家にとって「日常」は、単なる背景として消費されるものではありません。それは、感性を磨き、アイデアを汲み取り、そして聴き手の心に響く真実の言葉を見つけ出すための、尽きることのない物語の舞台であり、宝庫なのです。

 


4. 恐れずに「内面」と向き合い、「真実」を紡ぐ

作詞は、自己の内面と深く向き合う作業でもあります。時にそれは、痛みを伴うほどに、自身の真実を掘り起こす営みです。

ジョン・レノンは、「僕が書く歌は、僕自身への手紙のようなものなんだ。自分の感情や思考を整理するために書いている」と語り、作詞が彼自身のセラピーのような役割を果たしていたことを示唆しています。また、レディー・ガガは、「歌詞は、私の内面、私の真実を表現する手段です。時には痛みを伴うことも、喜びを爆発させることもあります」と、歌詞が自己表現の核であることを語っています。

一方、秋元康氏は、作詞に行き詰まった際の心構えとして、「目の前に壁があったら、みんな『乗り越えろ』って言いますけど、乗り越えられないから壁なわけじゃないですか。だけど右か左に動けば、どんな壁もどこかに切れ目があるんですよ。一番ダメなのはそこで立ち止まってしまうことなんですね。間違ってたな、と思ったら全力で戻る。これしかないんですよ」と、試行錯誤と柔軟な発想の重要性を説きます。これは、創作における葛藤と、それを乗り越えるための強い意志を示しています。

プリンスは、彼の音楽が持つ挑発性について、「僕は、人々が議論し、考え、そして感じられるような曲を作りたい。時には挑発的であることも必要だ」と語ります。これは、単に美しい言葉を並べるだけでなく、時には聴き手に問いかけ、思考を促すような、強いメッセージを込めることの重要性を示唆しています。

 


5. 作家それぞれの「哲学」が言葉に宿る

歌にならないものはなにもない(イメージ)

最後に、偉大な作詞家たちは、それぞれが独自の人生観や哲学を言葉に宿らせてきました。

戦後を生き抜いたなかにし礼氏は、「恋だの、愛だの、キスだの、そんなばかなことを書くことが平和。だから僕は、戦後、ばかなことを書きまくった。それが平和の象徴であり、自由の象徴であるわけです」と、彼の作品に込められた平和への強い願いを語ります。

歌にならないものはなにもない」と断言した阿久悠氏の作詞家憲法は、あらゆる事象が歌になり得るという、作詞家としての無限の可能性を示しています。そして、「私は時代を食って曲を書いていたんです」という言葉は、社会学者的な視点で作詞をしていた彼の姿勢を雄弁に物語っています。

「俺たちの歌は、俺たちが生きていくことそのものだ」と語る吉田拓郎氏の言葉は、フォークソングが単なる歌ではなく、彼らの生き様、思想、社会への問いかけそのものであるという、彼の強い信念が表れています。

これらの言葉は、単なる作詞の技術論を超えた、彼ら自身の人生哲学や、言葉そして音楽への深い愛情が凝縮されています。彼らにとって作詞は、自己の表現であり、メッセージを社会に発信する手段であり、そして何よりも、人々の心に寄り添う真実を紡ぎ出す営みだったのです。

 


いかがでしたでしょうか。偉大な作詞家たちの言葉は、私たちに多くの気づきとインスピレーションを与えてくれます。今日からあなたも、彼らの言葉を胸に、自身の「日常」と向き合い、心に響いた感情を言葉として紡ぎ出してみてはいかがでしょうか。あなたの言葉が、誰かの心に深く届く「魔法」となる日が来るかもしれません。