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「泳げない子」はなぜ増える?学校水泳の今と、広がる「水泳格差」の現実

泳げない子が増えている(イメージ)

近年、「泳げない子が増えている」という声が聞かれるようになりました。夏が近づくと、子どもたちの水難事故のニュースに心が痛むこともあります。かつては学校の授業で誰もが泳げるようになるのが当たり前だったはず。なぜ今、このような状況が生まれているのでしょうか?

私がこれまでの議論を通して見えてきた、その背景と現状、そして浮上する「水泳格差」の深刻な問題について、現時点での見解をまとめます。

 


学校の水泳授業、その限界と背景にある課題

かつて水泳は、体育の必須科目として多くの公立学校で実施され、子どもたちが泳ぎを身につける重要な機会でした。私も、学校のプールで泳ぎを覚えた一人です。しかし、現在その状況は大きく変化しています。

主な要因は、以下の通りです。

  • 教員の多忙化と指導の専門性: 先生方は日々の授業や部活動、事務作業などで多忙を極めています。そんな中で、プールの水質管理、安全監視、そして何十人もの泳力差がある子どもたち一人ひとりに合わせた指導まですべてを担うのは、まさに限界を超えています。すべての教員が水泳指導の専門家であるわけではない、という現実も忘れてはいけません。

  • プールの老朽化と高額な維持・修繕費: 多くの学校プールは建設からかなりの年月が経ち、老朽化が進んでいます。大規模な修繕や建て替えには数千万円から億単位の費用がかかることも珍しくありません。加えて、水質管理や清掃など、年間を通して維持費が発生します。年間数週間しか使わない屋外プールに対して、莫大な費用をかけ続けることへの疑問が浮上し、「費用対効果が低い」と判断されて廃止されたり、民間委託が検討されたりするケースが増えています。

  • 多様な背景を持つ生徒への配慮: 中学校では、思春期の生徒のプライバシーや体形への意識が高く、水着姿を見られることへの抵抗感が強い生徒もいます。性別による体格差や発育段階の違いからくる精神的な負担も無視できません。また、熱中症対策など、安全面での配慮もより厳しく求められるようになりました。これらのデリケートな問題に学校が対応しようとすると、授業の実施自体が難しくなる場合があります。

こうした複雑な要因が重なり、公立学校の授業だけで子どもたちが十分に泳力を身につけることは、現実的に非常に困難になっていると私は考えています。

 


「命を守るスキル」としての水泳の重要性、その認識の差

水泳は単なるスポーツや習い事の域を超え、いざという時に自分や他者の命を守るための「必須スキル」です。毎年、夏になると水難事故のニュースが報じられ、そのたびに私は水泳スキルの重要性を痛感します。特に、服を着たまま水に落ちた際の「着衣水泳」や、慌てずに浮いて救助を待つ「背浮き」といった実践的な知識とスキルは、命に直結するものです。

しかし、この「命を守るスキル」という最も重要な側面は、残念ながらあまり社会に強く認識されているとは言えません。例えば、街中で目にするスイミングスクールの広告を思い出してみてください。彼らがアピールするのは、「健康増進」「体力向上」「子どもの成長」「水嫌い克服」といった、習い事としての魅力が主でしょう。もちろんこれらも大切な要素ですが、「命を守る」という、やや重く、しかし本質的なメッセージが前面に出てくることはほとんどありません。

これは、広告主(スイミングスクール)が、顧客にポジティブなイメージを与え、入会を促すことを目的としているため、ネガティブな要素を避けたいという背景があるのでしょう。そのため、「命を守るスキル」としての水泳の重要性は、学校や一部の専門機関からの情報発信に頼らざるを得ないのが現状です。そして、その発信力は、国民全体に広く、深く認識されるほどの「大宣伝」には至っていません。

 


広がる「水泳格差」の現実と「経済的な壁」

学校の水泳授業が後退する中で、子どもに水泳を習わせる選択肢として浮上するのが、民間スイミングスクールです。専門的な指導と充実した設備(温水プールや屋内プールで年間を通して学べること)は魅力的ですが、ここに大きな壁が立ちはだかります。

それが、非常に大きな「経済的な壁」です。

  • 高額な月謝と初期費用: 民間スイミングスクールに通わせるには、月額6,000円〜10,000円程度の月謝に加え、入会金や指定用品代(水着、キャップなど)が初期費用としてかかります。もし子どもが複数人いれば、その負担はさらに増します。

  • 家庭の優先順位: 経済的に困難な家庭にとって、限られた収入や、もし国や自治体から補助金があったとしても、その使い道は非常に悩ましいものです。食費、光熱費、家賃、通信費といった日々の生活に不可欠な支出が最優先されます。また、子どもの将来を考えれば、学力向上に直結する学習塾や教材費用が優先されることも少なくありません。こうした切実な生活費や学習費の前に、水泳スクールの費用は後回しにされてしまいがちです。

  • 公的支援の限界: 一部の自治体やNPOが水泳費用を補助する制度を設けていますが、これらは対象者が限定的であったり、申請手続きが煩雑であったり、そもそも情報が十分に届いていなかったりします。また、補助金額もスクール費用全体を賄えるほどではないことが多く、結局自己負担が発生します。財源にも限りがあるため、全ての子どもをカバーできる状況にはありません。

都市部には多くのスイミングスクールがあるため、一見すると選択肢が豊富なように見えます。しかし、それは「お金を払える家庭の子どもだけが泳げるようになる」という、機会の格差をより鮮明にしているに過ぎません。地方ではスクール自体が少ないため、機会の絶対数で不利な状況がありますが、都市部では「スクールがあるのに通わせられない」という、より厳しい現実が突きつけられるのです。

 


「最善ではない」と知りつつも、各家庭の自己負担が現実的な解か

「誰もが水泳を学ぶ機会を得られるような仕組み」が、私が考える理想です。しかし、現状では「費用面の課題」が最大の障壁として立ちはだかっています。プール維持・改修にかかる莫大な費用、限られた自治体の財源、他の政策との優先順位付けなど、複雑な問題が絡み合っています。これらを一朝一夕に解決することはできません。

この状況が続く中で、子どもたちの成長は待ってくれません。水難事故のリスクは常に存在し、成長期にスキルを習得する機会を逃せば、後からではより難しくなります。

私自身、この状況が子どもたちの安全と健やかな成長にとって最善の解決策ではないと強く認識しています。それでも、現時点での最も現実的で即効性のある選択肢は、「各家庭が自己負担で民間スイミングスクールに通わせる」ことに他なりません。公的な支援や社会全体の変革を待つ間にも、子どもたちは大人になってしまうからです。

この厳しい現実を受け止めつつも、私は、水泳が単なる習い事ではなく、命を守るための重要なスキルであるという認識が、もっと社会に浸透し、将来的には「誰もが水泳を学ぶ機会」が保障されるような仕組みが整うことを強く願っています。そのためには、政府、自治体、教育関係者、そして私たち一人ひとりが、この問題に真剣に向き合い続ける必要があるでしょう。