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居酒屋チェーン栄枯盛衰の歴史:昭和を彩った名店から読み解く外食産業の変遷

大ジョッキのビールと、串焼き、枝豆が定番の組み合わせ(イメージ)

「とりあえず生!」のかけ声が響き渡り、グラスを傾ける仲間たちの笑顔が広がる。そんな居酒屋の光景は、日本人の暮らしに深く根ざし、日々の疲れを癒やす大切な場所でした。しかし、かつて街の風景を彩った居酒屋チェーンの多くは、社会の大きなうねりの中で、その姿を大きく変え、あるいは静かに舞台を去っていきました。そこには、栄華を極めた者が時代の変化に抗えず、夢半ばで舞台を去っていく、壮大な人間ドラマが繰り広げられていたのです。

本日は、日本が誇る「居酒屋チェーン」の栄枯盛衰の歴史を紐解きます。そのドラマティックな物語を深く読み解いていきましょう。

 


昭和の夜明け:大衆酒場の礎を築いた挑戦者たちの隆盛と、その後の軌跡

日本の居酒屋チェーンの本格的な夜明けは、戦後の高度経済成長期に訪れました。疲弊した人々が明日への活力を求め、安価で気軽に立ち寄れる「場」が切望されたのです。この黎明期において、後の居酒屋文化を形成する基盤を築いた、三人の先駆者がいました。彼らが築き上げた栄光は、今も日本の居酒屋文化に深く刻まれていますが、その後の社会の変遷の中で、その勢いは大きく変化していきました。

 

「養老乃瀧」と木下藤吉郎の革新:フランチャイズの夢を追った先駆者

1956年、横浜で小さな食堂からスタートした「養老乃瀧」は、日本の居酒屋チェーンの「元祖」として今も語り継がれています。創業者である木下藤吉郎氏は、飲食業界の常識を打ち破る斬新な経営手法を実践した人物でした。

当時の飲食店は、地域に根差した個人店がほとんど。しかし、木下氏はアメリカ視察で知ったフランチャイズ(FC)方式に大きな可能性を見出します。自らが培ったノウハウを「のれん貸し」という形で全国に広げ、徹底したマニュアル化と効率的な食材供給システムを構築しました。このFC展開によるチェーン全体の大量仕入れはコストを抑え、どこでも均一の品質を提供することを可能にしました。彼の革新性は、単なる「安さ」だけではありませんでした。酒やつまみを提供する居酒屋に、定食や食事メニューを充実させ、「飲める食堂」という新たな業態を確立したのです。これにより、老若男女が気軽に立ち寄れる「大衆酒場」としての地位を確固たるものにしました。

 

【外観・店内の雰囲気】 養老乃瀧の店舗は、木材を多用した素朴な外観が特徴で、派手さはないものの、どこか懐かしい親しみやすさを感じさせました。店内は、簡素ながらも温かみのある大衆的な雰囲気に満ち溢れていました。テーブル席や小上がり席が中心で、煙草の煙と酒の匂いが混じり合い、活気と喧騒に満ちていました。壁には手書きのメニュー短冊が所狭しと貼られ、大ジョッキのビールと、串焼き、枝豆が定番の組み合わせ。BGMは、店内に設置された有線放送から流れる演歌や懐メロが主流で、仕事の疲れを癒やすサラリーマンたちが、ネクタイを緩め、政治や野球談義に花を咲かせる、まさに昭和を象徴する居酒屋でした。

1973年には驚異の1,000店舗展開を達成し、全国にその名を轟かせた養老乃瀧は、安く酔える場所として、戦後の日本人の生活と切っても切り離せない存在となりました。しかし、その後の社会構造の変化や消費者ニーズの多様化、競合の激化など、様々な要因が重なり、最盛期の勢いは失われ、現在の店舗数は約370店舗前後まで減少しています。これは、市場の多様化や新たな競合の台頭、そして消費者の嗜好変化への対応の遅れなどが複合的に影響した結果と言えるでしょう。それでもなお、その「のれん」は多くの人々の心に残り、現役で営業を続ける店舗は、日本の居酒屋文化の「残照」として輝き続けています。

 

「つぼ八」と石井誠二の温かい経営:北の大地から人情を紡いだ

養老乃瀧が規模を拡大する傍ら、1973年、北海道札幌で「つぼ八」が産声を上げます。創業者である石井誠二氏は、「お客様のために何ができるか」を経営の根幹に据えた、温かい心を持つ人物でした。

「たった八坪(つぼ)」という小さな店から始まったつぼ八は、その名の通り、限られた空間を最大限に活かし、お客様に「居心地の良さ」を提供することに注力しました。当時の居酒屋は男性客が中心でしたが、石井氏は女性客や家族連れも気軽に利用できる明るい雰囲気と、手頃な価格ながらも質の高い料理を提供することを目指しました。特に、串焼きやザンギ(鶏の唐揚げ)といった料理は、家庭的な温かさと確かな美味しさで人気を博し、瞬く間に札幌の街で評判を呼びました。

 

【外観・店内の雰囲気】 つぼ八の店舗は、木目を基調とした、少しモダンな和風の外観が特徴で、親しみやすさの中に洗練された印象を与えました。店内は、養老乃瀧に比べて明るく、清潔感のある和風モダンな雰囲気が広がっていました。掘りごたつやテーブル席が配置され、カップルや少人数グループでも入りやすい配慮がなされていました。厨房が見えるオープンな造りも多く、活気を感じさせながらも、落ち着いて会話ができる空間が提供されました。BGMは、当時の流行歌やニューミュージックが心地よく流れ、より幅広い客層にアピールしました。

石井氏の経営哲学は、徹底した顧客目線と従業員への配慮にありました。お客様一人ひとりに目が届くきめ細やかなサービス、そして従業員が誇りを持って働ける環境づくりは、後のチェーン展開においても「つぼ八らしさ」として受け継がれました。最盛期には全国に500店舗以上を展開したものの、現在の国内店舗数は約150店舗前後と、こちらも規模は縮小傾向にあります。これは、市場の変化や新たな競合の台頭、消費者の嗜好変化に対応する難しさに直面した結果と言えるでしょう。しかし、その「人情」を重んじる精神は、一部の熱心な常連客に支持され、地域に根差した店舗として存続しています。

 

「庄や」と平辰の現場主義:駅前という要衝を制した堅実な経営者

そして、養老乃瀧やつぼ八と並び、昭和の大衆居酒屋を代表する存在となったのが「庄や」を運営する大庄です。創業者である平辰氏は、その徹底した現場主義と、駅前という一等地でのドミナント戦略(集中出店)で成功を収めました。

平氏は、顧客のニーズを現場で直接掴むことを何よりも重視し、既存店のすぐ近くに新店舗を出すことで、圧倒的なシェアを獲得する戦略を推進しました。また、単なる居酒屋に留まらず、漁港直送の新鮮な魚介を売りにした「日本海庄や」や、カラオケボックス、さらにホテル事業など、次々と多角的な事業展開に乗り出しました。これは、後の大手チェーンが展開する多ブランド戦略の走りとも言えるでしょう。

 

【外観・店内の雰囲気】 「庄や」の店舗は、活気ある漁師町の居酒屋を思わせる、どこか懐かしい外観が特徴でした。店先には大漁旗が飾られ、店内に入ると威勢の良いスタッフの声が響き渡ります。座席は、テーブル席や小上がり席が多く、仲間と肩を寄せ合いながら飲むのに適した空間でした。新鮮な魚介を強調するため、生簀(いけす)を設置している店舗もあり、ライブ感あふれる空間を提供しました。BGMは、演歌や懐かしのヒット曲が流れ、大衆的な賑わいを一層盛り立てました。

平氏の経営哲学は、「大衆に愛される店」を追求することにありました。安くて美味しく、そして日常使いしやすい居酒屋としての地位を確立し、多くの会社員や地域住民に愛され続けました。しかし、最盛期には700店舗近くを展開した大庄グループ全体(庄やブランド以外も含む)の店舗数は、現在約330店舗(2024年8月末時点)と大きく減少しています。特に「庄や」ブランド単体では、さらに店舗数を減らしており、これは労働問題やコロナ禍での大箱店の苦戦といった社会情勢の変化に直面し、大規模なリストラや業態転換を余儀なくされた結果と言えるでしょう。その姿は、かつての隆盛を知る者にとっては、まさしく「枯」の印象を強く残します。

 


変革期:1990年代後半から2000年代にかけての新潮流と激動

個室や半個室の導入に力を入れ、イメージを一新(イメージ)

日本の居酒屋チェーンにとって、1990年代後半から2000年代にかけては、まさに「変革期」でした。バブル崩壊後のデフレ経済が本格化し、消費者の価値観が「量より質」「画一性より個性」「安さだけでなく居心地の良さ」へと大きくシフトした時代です。この変革期に、従来の「大衆酒場」とは異なる新たな形態の居酒屋チェーンが次々と台頭し、市場は激しい競争に突入します。

 

「新御三家」の台頭と「労働問題」という名の影

この変革期に台頭したのが、後に「新御三家」とも呼ばれる居酒屋チェーンを率いる経営者たちです。彼らは一時代を築きましたが、その成長の陰には、深い苦悩や社会からの厳しい眼差しがありました。

 

「モンテローザ」と大神輝彦の攻勢:計算された戦略で市場を制した多角化の雄

自らは多くを語らず、しかしその圧倒的な支配力で外食業界を牽引したのが「モンテローザ」の創業者、大神輝彦氏です。彼は、緻密な計算と冷徹な判断力で、居酒屋業界の「天下」を狙いました。

大神氏の最大の強みは、「白木屋」「魚民」「笑笑」といった多種多様なブランドを同時に展開する戦略でした。同じような立地でも、顧客層や時間帯によって異なるブランドを投入することで、効率的な集客を図ったのです。例えば、「白木屋」で会社帰りのサラリーマンを、「魚民」で魚介好きを、「笑笑」で若い層を、といった具合にターゲットを細分化し、それぞれのニーズに合わせたメニューと内装を提供しました。

 

【外観・店内の雰囲気】 モンテローザ系列の店舗は、ブランドによって外観や雰囲気は異なりますが、共通して駅前の一等地にそびえ立つ派手なネオン看板が目を引き、若者からビジネス層まで幅広い層を誘い込む工夫が凝らされていました。「白木屋」は木目を基調とした落ち着いた和風、「魚民」は漁師小屋を模した活気ある海鮮居酒屋、「笑笑」はカラフルでポップな内装といった具合に、ターゲット層に合わせた明確なコンセプトがありました。BGMは、当時流行のJ-POPや洋楽ポップスが心地よく流れ、店内の活気を一層高めました。特に、個室や半個室の導入に力を入れ、プライバシーを重視する顧客のニーズに応え、かつての居酒屋の「おじさんの場所」というイメージを一新しました。

また、食材の一括仕入れから加工、物流までを自社で一手に担う「サプライチェーンの徹底した効率化」を推し進め、低価格ながらも安定した品質を実現する仕組みを構築しました。大神氏の経営手腕は、外食産業の激しい競争の中で、常に一歩先を行く戦略を打ち出し、モンテローザを巨大な外食企業へと成長させました。しかし、その後のデフレ長期化やコロナ禍による外食需要の減少、そして競合の激化の中で、かつての圧倒的な勢いには陰りが見え、店舗数は減少傾向にあります。その様子は、栄華の後の「衰」を感じさせます。

 

「ワタミ」と渡邉美樹の光と影:理想を追い求めすぎたカリスマ

理想郷を築くことを夢見ながらも、その実現の途上で多くの葛藤を経験したのが「ワタミ」の創業者、渡邉美樹氏です。彼は、単なる利益追求だけでなく「地球上で一番たくさんのありがとうを集める」という壮大な企業理念を掲げ、飲食業界に新たな風を吹き込みました。

渡邉氏は、「人」を大切にする経営を掲げ、従業員のモチベーション向上や理念浸透に注力しました。手書きのメニューを奨励したり、店長に大きな裁量を与えるなど、画一的なチェーン店の常識を打ち破る施策は、多くの若者や女性から共感を呼び、一時は「理想の企業」として称賛されました。彼の熱い言葉は、多くの従業員を惹きつけ、彼らが主体的に働くことで、ワタミは飛ぶ鳥を落とす勢いで店舗を拡大していきました。

 

【外観・店内の雰囲気】 「和民」の店舗は、木目調を多用した、比較的落ち着いた外観が特徴で、和風ながらもモダンな印象を与えました。店内は、落ち着いた照明と、木目を基調とした和モダンな空間が広がっていました。完全個室や半個室が多く、ゆったりと会話を楽しむことを重視した作りでした。手書きのメニューや温かいメッセージが飾られるなど、チェーン店ながらも「手作り感」や「温かみ」を演出する工夫が凝らされていました。BGMは、心地よいJ-POPのアコースティックバージョンや、ボサノバなど、会話を邪魔しない洋楽ポップスが流れ、従来の居酒屋よりもワンランク上の、女性も安心して利用できる雰囲気を確立しました。

しかし、急激な成長と拡大は、組織のひずみを生み出しました。特に、「後の労働問題」として社会から厳しい目を向けられることになります。長時間労働や過重なノルマなど、理念と現実のギャップが露呈し、企業イメージに大きな傷を残しました。ワタミは、店舗展開の急拡大に伴い、従業員一人ひとりにかかる負担が過大になった側面がありました。渡邉氏の掲げた理想は高かったものの、それを大規模組織で実現することの難しさ、そして社会の変化への対応が、大きな課題として浮上したのです。ワタミの事例は、企業成長におけるガバナンスと労働環境整備の重要性を、業界全体に突きつける痛ましい教訓となりました。この問題に加え、コロナ禍の影響もあり、居酒屋事業は一時的に大きな「衰退」を経験しました。現在は、焼肉業態への転換や宅食事業の強化など、多角的な事業展開で再建を図っています。

 


激動の2000年代以降:「価格破壊」の攻防と「特化」という名の再編

落ち着いた照明と、木目を基調とした和モダンな空間(イメージ)

2000年代に入ると、居酒屋チェーンはさらなる激戦期へと突入します。デフレ経済が続き、「安さ」が絶対的な正義となった中で、究極の「価格破壊」を仕掛けたチェーンが歴史に名を刻みました。しかし、その輝きは長くは続きませんでした。一方で、新たな哲学を掲げたチェーンが、着実に地歩を固めていきました。

 

「さくら水産」の光と影:疾風のごとく現れ、そして去った価格破壊の象徴

まるで一陣の疾風のごとく市場を席巻したのが「さくら水産」でした。「魚肉ソーセージ50円」「刺身200円台」「ランチ500円」──。この破格の安さは、当時の消費者にとってまさに「革命」でした。デフレの世に苦しむ人々の懐に寄り添い、コストパフォーマンスを追求することで市場を切り開きました。ランチタイムには、その店舗に行列ができるほど、多くの人々が殺到し、社会現象となりました。

 

【外観・店内の雰囲気】 「さくら水産」の店舗は、青い看板に大きく「さくら水産」と書かれたシンプルな外観で、庶民的で飾らない印象でした。店内は、簡素なテーブルと椅子が並び、漁船を模した飾り付けや、大漁旗が飾られた、まさに「大衆的な漁師小屋」の雰囲気でした。豪華さとは無縁で、ともかく安くお腹いっぱい食べられる、というコンセプトが前面に出ていました。BGMは、当時の流行歌や有線放送のヒットチャートが流れ、ランチタイムには賑やかな客層の声と相まって、活気ある大衆空間を演出していました。ご飯や味噌汁、卵が無料で提供され、セルフサービスで自由に取れるスタイルも、その大衆感を際立たせていました。

しかし、その究極の低価格戦略は、強固なサプライチェーンと潤沢な資金力がなければ維持できませんでした。食材費や人件費の高騰、そして他社の追随による「価格競争」という泥沼の消耗戦は、「さくら水産」の体力を急速に奪っていきました。採算ラインの維持が難しくなり、次々と店舗が閉鎖される「枯」の局面を迎え、かつて人気を博した「さくら水産」は、その輝きを失い、まさに「栄枯盛衰」の定めを体現する存在として、その名を後世に伝えることとなりました。

 

「鳥貴族」と大倉忠司:質実剛健な「均一価格」を貫いた統一者

そんな激動の時代に、逆風の中を力強く成長し、今や居酒屋業界の新たなトップランナーとなったのが「鳥貴族」です。その成功の立役者は、創業者である大倉忠司氏に他なりません。

大倉氏の経営哲学は、非常にシンプルでありながら、徹底的に貫かれています。それは、「全品均一価格」という明快なビジネスモデルと、「焼鳥は国産鶏肉のみ使用」という品質への揺るぎないこだわりです。「安かろう悪かろう」という居酒屋のイメージを払拭し、「この値段で、これほどの質のものが食べられるのか!」という感動を消費者に与えることを目指しました。国産鶏肉の使用は、単なる品質のアピールに留まらず、食の安全意識が高まる時代のニーズにも合致しました。

 

【外観・店内の雰囲気】 「鳥貴族」の店舗は、赤地に黄色い文字で大きく「鳥貴族」と書かれた看板が特徴的で、遠くからでも目を引く視認性の高さがありました。店内は、木目を基調とした、清潔感と温かみのある和風モダンな雰囲気が特徴です。テーブル席やボックス席が中心で、居心地の良さを追求しつつも、活気ある空間が広がっています。大きな提灯や、手書き風のメニューが飾られ、均一価格ながらも安っぽさを感じさせない工夫が凝らされています。オープンキッチンから焼き鳥の香ばしい匂いが漂い、食欲をそそります。BGMは、耳馴染みの良いJ-POPのヒット曲が流れ、幅広い客層がリラックスして楽しめる空間を演出しています。

さらに、大倉氏は「お客様も従業員も幸せにする」という独自の理念を掲げ、従業員を「お客様以上に大切にする」という姿勢を貫きました。従業員がやりがいを持って働ける環境を整備することで、質の高いサービスが提供され、それが盤石な顧客基盤へと繋がるという好循環を生み出しました。派手さはないものの、愚直に自らの哲学を貫き、顧客と従業員への「誠実さ」を経営の柱とした大倉氏の戦略は、飽和した居酒屋市場において、確固たるブランドイメージと揺るぎない顧客基盤を築き上げたのです。

 


現代居酒屋戦線:コロナ禍という大波と「分散」「特化」という新たな局面

縮小する市場の中で、より個性豊かで多様に(イメージ)

そして現在、日本の居酒屋チェーンを取り巻く環境は、かつてのような「大チェーン」が市場を席巻する時代から、「分散」と「特化」が鍵を握る時代へと移行しています。2020年以降の新型コロナウイルス感染症という未曾有の大波は、居酒屋業界に甚大な打撃を与え、多くの店舗がその暖簾を下ろすことになりました。大手チェーンですら数百億円規模の赤字を計上し、生き残りをかけたリストラや業態転換を余儀なくされるという「衰」の局面を突きつけられたのです。

オンライン飲み会の普及や、自宅で質の高いお酒を楽しむ「家飲み」文化の定着など、人々のライフスタイルや消費行動そのものに大きな変化が生まれたことで、「居酒屋で呑む」という市場のパイは「縮小」を続けています。

しかし、これは居酒屋文化の終焉を意味するものではありません。むしろ、縮小する市場のパイの中で、より個性豊かで多様な居酒屋が「勢力」を「分散」し、「特化」することで、新たな顧客の心をつかみ、生き残りを図る時代へと進化しています。

  • 「串カツ田中」のカジュアル革命 特定のメニューに特化し、「串カツ」という一点突破で勢力を拡大した「串カツ田中」は、家族連れや女性も気軽に楽しめるカジュアルな雰囲気で、従来の居酒屋のイメージを打ち破り、新たな客層を取り込むことに成功しました。店内は明るく、木目を多用したテーブル席がメインで、子供連れでも利用しやすいオープンな空間が特徴です。BGMは、ノリの良いJ-POPや洋楽ポップスが流れ、ワイワイと賑やかな雰囲気を演出しています。

  • 「大衆酒場」という温故知新 一方で、昭和レトロな雰囲気を纏いながら、現代的なアレンジを加えた「ネオ大衆酒場」という新たな勢力も台頭しています。「新時代」のように、「レモンサワー飲み放題」「名物料理の『伝串』」といった明確な「必殺技」と、SNS映えする「城下町の賑わい」を演出することで、若者層を惹きつけています。店内は、昭和を思わせるポスターや提灯、手書きメニューが飾られ、活気ある大衆感を演出。清潔感や写真映えを意識した工夫が凝らされています。BGMは、昭和歌謡や懐かしのJ-POPが流れ、ノスタルジーを感じさせながらも、現代的な活気を融合させています。

  • テクノロジーが描く未来の居酒屋 人手不足が深刻化する中、居酒屋業界ではDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進が加速しています。配膳ロボットの導入、モバイルオーダーシステムによる人件費削減と顧客体験向上、キャッシュレス決済の普及、そしてデータ分析による顧客ニーズの把握など、テクノロジーが居酒屋の運営を効率化し、新たな価値創造に貢献しています。

  • 「ちょい飲み」から「特別な一杯」まで広がる選択肢 仕事帰りに気軽に立ち寄れる「ちょい飲み」需要は拡大し、駅ビルや商業施設にはカウンター主体のバル形式の居酒屋が増えました。一方で、こだわりの日本酒やクラフトビール、希少な食材を提供する「特別な一杯」のための居酒屋も人気を集め、顧客の選択肢は大きく広がっています。地域密着型の個人店や、特定のジャンルに特化した専門店が、それぞれの強みを活かして独自の顧客層を掴んでいます。

終わりに:ドラマは続く、居酒屋の新たな舞台へ

「大チェーン」が覇を唱える時代は終わった(イメージ)

養老乃瀧の木下藤吉郎、つぼ八の石井誠二、庄やの平辰、モンテローザの大神輝彦、ワタミの渡邉美樹、そして鳥貴族の大倉忠司──。彼らは、まさに居酒屋チェーンという名の壮大なドラマの主人公たちでした。それぞれの夢と情熱を胸に、飲食業界の常識を打ち破り、日本の居酒屋文化を築き上げ、進化させてきました。その挑戦の軌跡は、日本の外食産業の歴史に深く刻まれています。

しかし、彼らが築き上げた「大チェーン」が市場を統一し、覇を唱える時代は終わりを告げ、多様化する消費者ニーズと激化する競争、そしてコロナ禍という未曾有の社会変化によって、その姿を大きく変えざるを得なくなっています。多くの「枯」と「衰」を経験しながらも、居酒屋文化は絶えることなく、新たな形を模索し続けています。

これからの居酒屋業界は、もはや「なんでもあり」の総合型ではなく、明確なコンセプトとターゲットを持つ「専門家」や、店主の顔が見える「小さな名店」が、それぞれの輝きを放ちながら共存していく、まさに「多種多様な個性が花咲く時代」となるでしょう。

「いざ、一杯!」の声は、形を変えながらも、これからも日本のどこかで響き続けるに違いありません。伝説の経営者たちが切り開いた道筋を胸に、新たなドラマが生まれる居酒屋の未来に、乾杯!