
私たちの多くは、今、人生の節目である55歳を迎えようとしています。1970年、昭和45年に生を受け、激動とも言える半世紀を駆け抜けてきました。子供の頃の記憶から、社会に出て、家庭を築き、そして現在の自分に至るまで、一体何を見て、何に影響を受けてきたのでしょうか。そして、幼少期に心に刻まれたものは、55歳になった今、どのように私たちの内側に息づいているのでしょうか。
この問いへの答えは、一人ひとり異なります。しかし、この「1970年生まれ」という共通項を持つ私たちは、驚くほど多くの文化的、社会的な経験を共有しています。今日は、そんな私たちの「一般的な半生」を、時代を遡りながら紐解いてみたいと思います。
第1章:アナログの輝きと、ヒーローが教えてくれたこと(幼少期:1970年代~1980年代前半)
私たちの最初の記憶は、テレビとともにあります。まだカラーテレビが家庭に普及し、一家団欒の中心にあった時代。土曜の夜はロボットアニメに胸を熱くし、日曜夕方には「世界名作劇場」で異国の物語に涙しました。
『マジンガーZ』の「Z!」の掛け声に痺れ、『ゲッターロボ』の合体シーンに興奮したあの感覚。戦隊シリーズの決めポーズを真似しては、友達と色分けして正義の味方ごっこに夢中になりました。『仮面ライダー』の変身ベルトに憧れ、悪の組織と戦うヒーローたちの姿に、友情や努力、そして「正義は勝つ」という単純ながら力強いメッセージを心に刻みました。
一方で、『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』からは、人間の情の温かさや、逆境に立ち向かうことの大切さを学びました。自然の描写に目を奪われ、広大な世界への憧れを抱いたのもこの頃かもしれません。
漫画は、少年ジャンプをはじめとする週刊誌がバイブルでした。学校や習い事の合間に、友達と回し読みしたり、お気に入りの漫画のキャラクターの絵を真似したり。放課後は、空き地や公園で日が暮れるまで遊びました。膝小僧を擦りむくのは日常茶飯事。秘密基地を作ったり、ベーゴマやメンコに熱中したり、缶蹴りや鬼ごっこで息を切らしたり。友達との物理的な距離が近く、体を使って遊ぶことが当たり前でした。
おもちゃといえば、超合金ロボットのずっしりとした手触り。アニメや特撮のキャラクターになりきれる変身グッズ。そして、後に一大ブームとなる前のプラモデル(ガンプラ)も、少しずつ私たちの世界に入ってきました。
この時代は、まだインターネットも携帯電話もない時代。情報はテレビ、ラジオ、新聞、そして人づてに伝わるのが普通でした。良くも悪くも、限られた情報の中で、想像力を膨らませ、身近な人間関係の中で世界のルールを学んでいったのです。このアナログで温かい体験が、私たちの五感の原点となり、その後の人生の土台を築いたと言えるでしょう。
第2章:バブルの熱狂と新しい波に乗って(青年期:1980年代半ば~1990年代前半)
中学生になり、高校、大学、そして社会人へ。私たちの青年期は、まさに「バブル景気」という時代の熱狂とともにありました。街にはディスコが賑わい、ブランド物が持て囃され、誰もが未来は明るいと信じて疑いませんでした。
中高生時代は、テレビゲーム、特にファミリーコンピュータが全盛期を迎えます。『スーパーマリオブラザーズ』に夢中になり、『ドラゴンクエスト』の発売日にはお店に行列ができたのも、この世代ならではの経験です。ゲームセンターの『ストリートファイターII』で対戦に熱くなる友達もいたでしょう。
音楽シーンも活気に満ちていました。アイドル全盛期を経て、ロックバンドやJ-POPが台頭。お気に入りのアーティストの曲をカセットテープにダビングしたり、友人とライブに行ったり。トレンディドラマに影響され、流行のファッションやライフスタイルを追いかけました。
大学生になれば、アルバイトで自由に使えるお金が増え、車やバイク、そして海外旅行が身近なものになりました。華やかで刺激的な情報が溢れかえり、まるで世界の全てを手に入れられるかのような錯覚を覚えた人も少なくなかったはずです。
そして、社会人として第一歩を踏み出したのは、多くがバブル崩壊直前、あるいは崩壊が始まった頃でした。まだ「就職氷河期」という言葉が生まれる前夜であり、比較的スムーズに就職できた人が多かったかもしれません。しかし、会社に入った途端、目の当たりにしたのは、それまでの好景気とは全く異なる、不況の足音でした。
この時期の経験は、私たちの価値観に複雑な影響を与えました。バブル期の華やかさや楽観主義を知っている一方で、その崩壊という現実を突きつけられたのです。お金や物質的な豊かさだけでは測れないものがある、ということを、社会に出てすぐに痛感させられた世代とも言えます。
第3章:試練の時代と、新しい繋がり(壮年期前半:1990年代後半~2000年代)
20代後半から30代。私たちは社会の中堅となり、仕事での責任が増し、多くの人が結婚して家庭を持ち始めました。しかし、この時期は、私たちにとってまさに「試練の時代」でした。
バブル崩壊後の経済の低迷は深刻化し、「失われた10年」という言葉が現実のものとなりました。終身雇用や年功序列といった、親世代にとっては当たり前だった企業のシステムが崩れ始め、リストラや倒産が身近なものとなります。将来への不安は、かつてないほど大きなものとなりました。
さらに、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件といった未曽有の出来事が続き、私たちは社会全体の脆弱性や不確実性を痛感します。当たり前だと思っていた日常が、いかに脆い基盤の上に成り立っているのかを知ったのです。
このような厳しい社会情勢の中、私たちは働き、家庭を築き、そして子育てを始めました。子供たちの将来を案じながら、自分たちが経験したような明るい未来を彼らが送れるのだろうか、という不安を抱いた人も多いはずです。
一方で、この時期、私たちの生活に革命的な変化をもたらすものが登場しました。インターネットの普及と、携帯電話(ガラケー)の進化です。Eメールで瞬時に連絡が取れるようになり、iモードなどのサービスで、いつでもどこでも情報にアクセスできるようになりました。遠く離れた家族や友人とも、気軽にコミュニケーションが取れるようになり、人との繋がりの形が大きく変わったのです。
この時代に培われたのは、変化への対応力と、不確実な状況下でも自分たちの生活や家族を守ろうとする現実的な強さです。そして、新しいテクノロジーを積極的に取り入れ、情報化社会の波に乗る柔軟性も身につけていきました。
第4章:デジタル化の波と、多重な役割を生きる(壮年期後半~現在:2000年代後半~55歳)
40代に入り、私たちはキャリアのピークを迎えつつあります。部下を持ち、組織の中での責任はさらに増しました。しかし、経済状況は依然として厳しく、グローバル化や技術革新の波は容赦なく押し寄せます。ワークライフバランス、キャリアの多様化、早期退職制度など、働き方や仕事に対する価値観も大きく変化しました。
そして、この時期の最大の変化の一つは、スマートフォンの登場と、SNSの爆発的な普及です。手のひらサイズの端末一つで、世界のどこからでも情報にアクセスし、瞬時に発信できるようになりました。FacebookやTwitter、LINEなどが生活に浸透し、人間関係の構築や維持のあり方も大きく変わりました。幼少期にアナログな世界で育った私たちは、気づけば完全にデジタル社会の一員となっていたのです。
家庭においては、子供たちが思春期を迎え、やがて大学進学や就職などで巣立っていく時期です。子育ての喜びや苦労を経験し、親としての責任を果たそうと奮闘しました。同時に、自身の親が高齢になり、介護や見送りといった責任も担うようになりました。親としての顔、子としての顔、そして会社での顔と、私たちは多くの役割を同時に担うようになりました。
また、東日本大震災をはじめとする大規模な自然災害が相次ぎ、私たちは自然の脅威や、社会全体の脆弱性を改めて思い知らされます。当たり前だと思っていた安全や安心が、いかに簡単に崩れ去るかを経験しました。
55歳になった今、私たちの多くはキャリアの岐路に立たされています。このまま会社で働き続けるのか、それとも新しい道を探すのか。定年後の人生設計も現実的な課題として浮上しています。自身の健康への関心も高まり、これからの人生をどう生きるか、真剣に考え始める年齢です。
結び:半世紀の経験が織りなす「私たち」という世代
1970年生まれの私たちの半生は、まるでジェットコースターのようです。昭和の成長期に生まれ、バブルの熱狂を知り、平成の失われた時代を乗り越え、令和のデジタル化と多様化の波に適応してきました。アナログな世界で育った感受性と、デジタル社会を生き抜く順応性。安定した社会を知っているからこその不安と、多くの困難を乗り越えてきたことによるしたたかさ。両極端とも言える様々な経験が、複雑に絡み合い、私たちという世代を形作っています。
幼い頃にテレビや漫画のヒーローから学んだ「諦めない心」は、社会に出てからの様々な困難に立ち向かう糧となったでしょう。バブルとその崩壊を知っているからこそ、堅実であることの大切さを学び、地に足のついた価値観を持つようになったかもしれません。インターネットやスマホの普及は、幼少期のアナログな体験とは全く異なるものですが、新しい技術を取り入れる柔軟性と、情報過多の時代における情報の取捨選択能力を私たちにもたらしました。
私たちは、親世代から受け継いだ価値観と、自分たちが経験した激動の時代の中で培った新しい価値観を併せ持っています。そして、デジタルネイティブである子供たちや若い世代と、アナログな時代を知る自分たちの親世代との間に立つ「橋渡し」のような存在でもあります。
55歳は、ゴールではなく、新たなスタート地点です。これまでの半世紀で培ってきた経験、知識、そして何よりも様々な変化に適応してきた柔軟性は、これからの人生において大きな力となるはずです。
昭和、平成、令和――三つの時代を駆け抜けてきた私たち。それぞれの時代が私たちに与えてくれた影響は、複雑に絡み合い、今の「私たち」という個性を形作っています。これから先の人生で、この半世紀の経験がどのように活かされていくのか、自分自身のこれからに、少しワクワクしてみるのも良いかもしれません。