実業家のひろゆき氏の「音大卒で食えないのは当然でしょ?」という発言は、多くの音楽家や音楽教育関係者に衝撃を与えました。耳に痛い現実を突きつけるその言葉は、一方で音楽の価値や音楽家の努力を軽視しているとの批判も噴出させています。
本稿では、この議論を深掘りし、「食えない」と言われる音大卒業生の厳しい現状を事例を交えながら分析します。その上で音楽家として経済的に自立し、充実した音楽活動を送るための戦略を具体的な方法論と事例を交えながら提案します。
1.「食えない」のリアル:夢と現実のギャップ、構造的な課題
音大を卒業した多くの音楽家が直面する現実は、決して華やかなものではありません。幼い頃からの情熱と努力を注ぎ込み、専門的な知識と技術を習得したにも関わらず、その多くが経済的な不安を抱えながら活動しています。
事例1:演奏家Aさんの苦悩
幼少期から才能を発揮し、名門音楽大学を首席で卒業したヴァイオリニストのAさん。しかし、オーケストラのポストは狭き門であり、年間の契約数は不安定です。収入の柱は、複数のアマチュアオーケストラのエキストラ演奏(1回数千円)、個人レッスン(1時間3000円程度)、結婚式の演奏(1件1万円程度)の掛け持ちです。練習時間の確保、演奏会の準備、生徒の募集、事務作業などを全て自身で行う必要があり、月々の手取り収入は15万円に満たないこともあります。「演奏することだけを夢見てきたのに、生活のために週に数回、音楽とは全く関係のないアルバイトを探さなければならないのが現実です」とAさんは語ります。
事例2:音楽講師Bさんの疲弊
音楽教育学部を卒業し、ピアノ講師として複数の音楽教室で働くBさん。生徒数は景気や季節によって変動し、1コマあたりの単価は1時間2500円程度と低く、十分な収入を得るには週に20コマ以上のレッスンをこなす必要があります。移動時間や準備時間を含めると労働時間は長く、心身ともに疲弊しています。「音楽の楽しさを伝えたいという情熱はあるのですが、毎月の収入が不安定で、貯金もほとんどできず、将来への不安が常に付きまといます」とBさんは打ち明けます。
事例3:作曲家Cさんの孤独
独創的な才能を持つ作曲家のCさん。自身の作品が演奏される機会は年に数回程度で、その際の印税収入もわずかです。生活費を稼ぐために、演奏家への楽曲提供の営業活動、楽譜の浄書、音楽教室の受付アルバイトなど、創作活動以外の業務に多くの時間を費やしています。著作権収入は年間数万円程度で、「自分の音楽を多くの人に届けたいという願いはあるのですが、経済的な基盤がないため、作曲活動を続けることが困難です」と苦悩を語ります。
これらの事例は、一部の才能ある音楽家の現実に過ぎません。多くの音大卒業生が、非正規雇用、低賃金、不安定な収入、演奏以外の雑務といった課題に直面し、「音楽だけでは食えない」という厳しい現実を突きつけられています。
この背景には、以下のような構造的な課題が存在します。
- 音楽業界の雇用構造の歪み: 正規雇用のポストが極端に少なく、フリーランスや契約社員といった不安定な雇用形態が主流となっています。終身雇用制度が崩壊しつつある現代においても、音楽業界の不安定さは際立っています。
- 芸術文化への公的支援の脆弱性: 欧米諸国と比較して、日本における音楽文化への公的支援はGDP比で低い水準に留まっており、音楽家が安定した活動を続けるための経済的基盤が脆弱です。文化庁の予算規模を見ても、その差は明らかです。
- 音楽教育と社会ニーズのミスマッチ: 伝統的な演奏技術の習得に偏重した教育が、現代社会が求める多様なスキル(コミュニケーション能力、企画力、情報リテラシー、マーケティングスキルなど)との間に大きなギャップを生じさせている可能性があります。
- 音楽の経済的評価の低迷: 音楽の価値が十分に認識されず、演奏や指導に対する対価が低い傾向があります。特に、アマチュアとの価格競争や、無料コンテンツの増加などが、プロの音楽家の収入を圧迫しています。著作権収入の分配システムも、デジタル化の進展に対応しきれていない側面があります。
2. どうすれば「食える」? 音楽家が取るべき生存戦略
厳しい現実を打破し、音楽家として経済的に自立していくためには、従来の「音楽活動一本」という考え方を根本的に見直し、多角的な視点と具体的な戦略を持つことが不可欠です。
戦略1:収入の多角化と複合的なキャリア構築
音楽活動以外の収入源を確保し、経済的な安定を図ることが重要です。
- 音楽教育の多様化:
- 具体的な方法: 楽器指導に加え、オンラインプラットフォーム(Zoom、Skypeなど)を活用した全国向けのレッスン展開、音楽史や音楽理論、ソルフェージュなどの専門知識を活かしたオンライン講座の開講(Udemy、Courseraなどを活用)、YouTubeなどの動画プラットフォームでの教育コンテンツ配信による広告収入や有料メンバーシップの導入、音楽教材(楽譜、練習問題集など)の自作・販売(BOOTH、Gumroadなどを活用)。
- 成功事例: 声楽家のDさんは、オンラインで発声法や楽曲分析の講座を開講し、全国の音楽愛好家から月額課金制で安定した収入を得ています。演奏動画に加えて教育的なコンテンツを充実させることで、チャンネル登録者数を増やし、広告収入も得ています。
- 音楽関連の執筆・編集:
- 具体的な方法: 音楽雑誌、ウェブメディア、音楽系ニュースサイトなどへの企画持ち込みや公募への応募、演奏会評や音楽コラムの執筆、楽譜の校正、音楽書籍の翻訳、音楽関連のウェブサイトやブログでの情報発信による広告収入やアフィリエイト収入。
- 成功事例: クラシックギター奏者のEさんは、演奏活動の傍ら、自身のブログで演奏技術や音楽史に関する詳細な情報を発信し、音楽メディアからの執筆依頼や書籍の翻訳の仕事に繋げています。
- イベント企画・運営:
- 具体的な方法: 自身の演奏会やワークショップの企画・運営(集客、会場手配、広報、チケット販売などを全て自身で行う)、地域イベントの音楽部門のコーディネート、企業イベントや結婚式などでの音楽プロデュース、音楽イベントの制作アシスタント(音響、照明、舞台監督など)のアルバイト。
- 成功事例: ピアニストのFさんは、地域のカフェと協力して定期的なサロンコンサートを企画・運営し、出演料と集客に応じた利益分配で安定した収入を得ています。SNSを活用した積極的な広報活動も奏功しています。
- ITスキルとオンライン活用:
- 具体的な方法: 音楽編集ソフト(DAW)の習熟による楽曲制作や編曲、動画編集ソフトの習熟による演奏動画や教育コンテンツの制作、ウェブサイトやポートフォリオの作成(WordPress、Jimdoなどを活用)、SNS(Twitter、Instagram、Facebookなど)を活用した積極的な自己プロモーションとファンbaseの構築、オンラインレッスンやコンサートの配信(Twitch、YouTube Liveなどを活用)、自身の楽曲や楽譜のオンライン販売プラットフォーム(Bandcamp、SoundCloudなどを活用)での販売。
- 成功事例: フルート奏者のGさんは、自身の演奏動画を高音質でYouTubeに投稿し、広告収入を得るだけでなく、動画を見た視聴者からのオンラインレッスンや演奏依頼に繋げています。 Patreonなどのファンコミュニティプラットフォームを活用し、月額課金制で限定コンテンツを提供することで、新たな収入源を確保しています。
戦略2:ニッチ市場の開拓と専門性の深化
競争の激しい既存の音楽市場だけでなく、新たなニーズが存在するニッチな分野に焦点を当てることで、独自の価値を確立し、収益化を目指します。
- 特定のジャンルへの特化:
- 具体的な方法: 古楽(バロック音楽、ルネサンス音楽など)、現代音楽、民族音楽、特定の作曲家や演奏様式の研究に特化し、専門性を高めるための研究活動、演奏会企画、論文発表などを積極的に行う。専門性の高さを活かした演奏依頼、レクチャーコンサート、ワークショップ講師などの機会を増やす。
- 成功事例: バロックヴァイオリン奏者のHさんは、古楽アンサンブルへの積極的な参加やソロ演奏、古楽に関する研究発表を通じて、その分野の第一人者としての地位を確立し、国内外から演奏依頼が絶えません。
- 特定の層へのアプローチ:
- 具体的な方法: 乳幼児向けコンサートの企画・実施(親子で楽しめるプログラム開発、保育園や幼稚園への営業)、高齢者施設での音楽療法演奏(音楽療法士の資格取得も視野に入れる)、企業向けの癒し音楽や集中力向上音楽の制作・提供(BGM制作、瞑想音楽の提供)、特定の趣味を持つ層(例:アニメファン向けのクラシック演奏会)に向けた演奏会企画。
- 成功事例: 音楽療法士のIさんは、病院や介護施設と連携し、音楽の力で患者や利用者の心身のケアを行うことで、安定した収入と社会貢献を実現しています。音楽療法に関するセミナー講師としても活躍しています。
戦略3:地域社会との連携と貢献
地域に根ざした音楽活動を展開することで、安定した活動基盤を築き、地域社会からの支援を得ることを目指します。
- 地域の音楽団体への積極的な参加:
- 具体的な方法: 地域オーケストラ、合唱団、吹奏楽団などに積極的に参加し、演奏機会を増やすとともに、地域住民との信頼関係を構築する。指導者としての役割を担うことも視野に入れる。
- 成功事例: トランペット奏者のJさんは、地元のアマチュアオーケストラの指導者として長年貢献しており、地域住民からの信頼も厚く、個人的な演奏依頼や音楽教室の紹介などに繋がっています。
- 地域での音楽指導:
- 具体的な方法: 地元の学校(小中学校、高校)の音楽非常勤講師、公民館での音楽講座の開講、地域の音楽教室での指導、自宅での個人レッスンなど、地域住民への音楽教育の機会を提供する。
- 成功事例: ピアノ講師のKさんは、自宅での個人レッスンに加え、地域の公民館で初心者向けのピアノ講座を開講し、幅広い年齢層の生徒を獲得しています。
- 地域イベントへの積極的な関与:
- 具体的な方法: 地域のお祭り、文化イベント、商業施設のイベントなどで演奏や音楽ワークショップを実施し、地域住民との交流を深める。ボランティア活動にも積極的に参加し、地域貢献の姿勢を示す。
- 成功事例: サックス奏者のLさんは、地元の商店街のイベントで定期的に演奏を行い、地域住民からの認知度を高め、イベント出演の依頼やレストランでの定期演奏の仕事に繋がっています。
戦略4: 起業家精神 の発揮と創造的な活動
既存の枠にとらわれず、自らのアイデアと行動力で新しい音楽活動の形を生み出す起業家精神が重要です。
- 独自の音楽教室やスタジオの開設:
- 具体的な方法: 自分の理想とする教育方針や指導方法に基づいた音楽教室を開設し、独自のカリキュラムやサービスを提供する。オンラインレッスンに特化したスタジオを開設するのも選択肢の一つ。
- 成功事例: ヴァイオリン講師のMさんは、従来の個人レッスンに加え、アンサンブル指導や音楽史レクチャーなど、独自のプログラムを取り入れた音楽教室を開設し、多くの生徒を集めています。
- オリジナルの楽曲や教材の制作・販売:
- 具体的な方法: 自身の作曲・編曲した楽曲を楽譜としてオンラインで販売する(Sheet Music Plus、MuseScoreなどを活用)、演奏動画やオリジナル楽曲を収録したCDやデジタルコンテンツを制作・販売する(Bandcamp、自身のウェブサイトを活用)、音楽学習アプリやソフトウェアの開発。
- 成功事例: 作曲家のNさんは、自身のオリジナル楽曲をオンラインで販売し、世界中の演奏家や音楽愛好家から支持を得ています。楽譜だけでなく、演奏動画や解説動画などもセットで販売することで、付加価値を高めています。
- クラウドファンディングの活用:
- 具体的な方法: 演奏会、CD制作、海外留学、楽器購入など、自身の音楽活動に必要な資金を、クラウドファンディングプラットフォーム(Kickstarter、CAMPFIREなどを活用)を通じてファンや支援者から募る。魅力的なリターン(限定演奏会、サイン入りCD、レッスン提供など)を設定することが成功の鍵。
- 成功事例: ピアニストのOさんは、クラウドファンディングで資金を集め、自身のオリジナル楽曲のCD制作と大規模なコンサート開催を実現しました。定期的な進捗報告やファンとの交流を通じて、多くの支援者を得ています。
3. 教育機関に求められる変革:社会との接続を強化するキャリア支援
音楽大学は、学生が卒業後に社会で自立し、音楽活動を持続可能なものとするためのキャリア支援を、より実践的に強化する必要があります。
- 早期からのキャリア教育:
- 提案: 1年生からキャリアに関する授業を必修化し、音楽業界の現状、多様なキャリアパス、必要なスキルなどを体系的に教育する。卒業生を招いた講演会やワークショップを定期的に開催し、学生が具体的なイメージを持てるようにする。
- 実践的なビジネススキルの教育:
- 提案: 企画力(コンサート企画、イベント運営)、プレゼンテーション能力(自己PR、企画提案)、 金融リテラシー (確定申告、契約書の読み方)、著作権に関する知識、マーケティングスキル(SNS運用、ウェブサイト作成、広報戦略)などを習得できる科目を設置する。ビジネスコンテストや起業家育成プログラムなどを導入する。
- 多様なキャリアパスの提示:
- 提案: 演奏家、指導者以外の音楽に関わる仕事(音楽療法士養成課程の設置、音楽プロデューサーやマネージャーを育成するコースの設置、音楽ライターやエディターとしてのスキルアップ講座の開講、イベント企画・運営に関する実践的なワークショップの実施)に関する情報提供を強化し、関連分野の専門家を招いたセミナーやワークショップを実施する。
- インターンシップや実務経験の機会提供:
- 提案: 音楽関連企業(レコード会社、音楽事務所、イベント制作会社など)や団体(オーケストラ、劇団など)との連携を強化し、学生が在学中にインターンシップに参加できる制度を確立する。学内での演奏会やイベントの企画・運営を学生主体で行わせ、実践的な経験を積ませる。
- 卒業生のネットワーク構築支援:
- 提案: 卒業生名簿を作成し、オンラインコミュニティ(SNSグループ、メーリングリストなど)を運営する。定期的に卒業生向けの交流イベントやキャリア相談会を開催し、卒業生同士の連携や情報交換を促進する。
4. 社会全体の意識改革:音楽の価値を再認識し、支える文化を育む
音楽家がその才能を十分に発揮し、経済的な安定を得るためには、社会全体の音楽に対する意識改革が不可欠です。
- 音楽の持つ文化的・精神的な価値の再評価: メディアは音楽の持つ多様な価値(癒し、感動、教育、文化継承など)を積極的に報道し、社会全体で共有する。学校教育において、音楽の重要性を改めて認識し、音楽教育の時間を増やす、質の高い音楽教師を育成するなどの取り組みを行う。
- 企業や地域社会による音楽活動への支援: 企業はCSR活動の一環として音楽イベントへの協賛や音楽家への支援を行う。地域団体は地域の音楽家を積極的にイベントに起用したり、演奏機会を提供したりする。クラウドファンディングなど、音楽家への直接的な支援を促す仕組みを広める。
- 政府や自治体による芸術文化支援の拡充: 音楽家が安心して活動できる経済的な基盤を整備するために、公的な資金援助を増やす。税制面での優遇措置や、活動拠点の提供なども検討する。
- 音楽教育の重要性の再認識: 次世代の豊かな心を育むための音楽教育の重要性を再認識し、学校教育や地域社会における音楽教育を充実させる。音楽教師の地位向上や待遇改善を図る。
ひろゆき氏の厳しい言葉は、私たちに音楽家の置かれた現実を改めて認識させましたが、同時に、音楽の未来をどのように築いていくかを考える上で、非常に重要な問いを投げかけています。
音楽家自身が変化を恐れず、具体的な戦略を実行していくこと、そして社会全体が音楽の価値を再認識し、支える文化を育むこと。この両輪が揃うことで、音楽家が「食える」未来は必ず開かれるはずです。